40度の高熱、注射拒まれ即入院…中日主砲が失った“居場所” 「暇に感じた」外野の景色
1990年、宇野勝氏のポジションは主に三塁…左翼も守った
ポジションがまた変わった。元中日内野手の宇野勝氏(野球評論家)はプロ14年目の1990年の開幕戦を「5番・三塁」で迎えた。1987年は遊撃、1988年は二塁、1989年は遊撃。そしてこの年は三塁だけでなく、左翼を守るシーンも増えた。そんな中でも27本塁打、78打点をマークしたが、5月中旬に高熱が出て入院、離脱するなど大変な時期もあった。巨人戦での有名な中日・星野仙一監督の激怒シーンは「病院のテレビで見ていた」という。 【映像】グラブ投げつけ、踏むわ踏むわ…ブチ切れて扇風機をボコボコ 1990年4月7日の大洋戦(ナゴヤ球場)の中日開幕スタメンは「1番・中堅」彦野利勝、「2番・遊撃」立浪和義、「3番・右翼」ベニー・ディステファーノ、「4番・一塁」落合博満、「5番・三塁」宇野勝、「6番・二塁」バンスロー、「7番・左翼」大豊泰昭、「8番・捕手」中村武志、「9番・投手」西本聖だった。試合は延長11回降雨コールドで5-5の引き分け。ドラフト1位ルーキーの与田剛投手が11回無死一、三塁に登板して剛速球で無失点に封じる鮮烈デビューを果たしたことでも知られる。 前年、右肩痛で大きく出遅れた立浪が遊撃レギュラーに返り咲いたことで、宇野氏は三塁。初戦は無安打に終わったが、2戦目の4月8日は4打数2安打4打点と活躍し、3番手で投げた大洋ドラフト1位ルーキー・佐々木主浩投手から本塁打も放った。途中から左翼の守備にも就いた。試合は延長11回7-8で敗れたが、またまた守備位置が変わっても「ウーヤン」の存在感は不変だった。 「大魔神に言われたことがある。『(プロの公式戦で)一番最初にホームランを打たれたのは宇野さんです』ってね。でも打ったのは覚えていない。大魔神が抑えになってからまるっきり打てなかったのはよく覚えているけどね。フォークがもう……。消えちゃうんだもんね」。宇野氏はそう話したが、この年の4月は打率.313、4本塁打と好スタート。5月に入ってもバットは好調で13日までに本塁打は5本上乗せして9本とした。