多和田葉子、高瀬アキ「海外で創作を続けること」をテーマに早稲田大学でトーク 村上春樹ライブラリーイベントレポート
◼️ベルリンは「文化センターの大舞台のよう」 ーー多和田さんは大学卒業と同時にドイツに行かれてお仕事を始めた。今ちょうど読売新聞で小説「研修生(プラクティカンティン)」を連載していますが、その研修生という身分で行かれたと。小説でも本の取次会社で研修されている様子がちょっと出てきます。脚色もされてはいるとは思いますが、毎日の好奇心あふれる生活が伝わってくるような気がします。ドイツ語は高校生から勉強されていたとはいえ、それまでと全く違う環境に身を置いて、どうでしたか。 多和田:毎日、いろいろな驚きがありましたね。どうしても連載に書きたいと思って書いたことがあります。私はその時22歳でしたが、同僚で20代後半の女性がいました。彼女が課長と喧嘩して「腹が立った」と言って、お客さんからの注文書を全部ビリビリに破いて、トイレに捨てちゃったんですよね。 そういうことが何度かあったので、社長が「クビにする」と言ったら、労働組合がそれはおかしいと。どうしてかというと、課長と社員が喧嘩するのは普通である。性格が激しい人はそういうことをすることもあるだろう。だからクビにするのは人間を軽視していると。その時、私はなるほどと思って、目からウロコでした。 日本で教育を受けた私からすると、例えばレストランのアルバイトで、店主と喧嘩して腹が立ったからと皿を全部割っちゃったとしたら、クビにならないほうが不思議な感じがしました。自然とそれが普通だと思い込んでいたんですよね。でもそうじゃない考えがあるということに出会った。人間中心の考えって、こういうことなんだと。新しい発見がありましたね。毎日のように発見がありすぎて、夜は疲れて毎日10時間ぐらい寝ていました。どれだけ寝ても寝足りないような感じで。寝ている間に新しい経験を夢の中で消化していくんでしょうね。そういう日々を送りました。 ーードイツのなかでもベルリンでよかったなと思うこともありますか。 高瀬:やっぱりいろんなジャンルの人と出会うチャンスがあります。つまり、音楽だけじゃなく、ダンス、文学などをやっている人たちと出会うきっかけが多い。ミュンヘンやハンブルグなどの他の都市に比べると。それもあって、仕事あるいは練習、リハーサル、コンサート、公演がやりやすい。例えば南のほうに行くと、まだ保守的なところが多いような気がします。そういう意味では、ベルリンは非常に自由で開けた感じがするんですけど、どうですか。 ーー多和田さんは最初はハンブルクに住まれていたんですよね。 多和田:私は最初はハンブルクで、次にベルリンに行ってすごく良かったと思うんですよね。最初はまさに自分の幼年時代というか子供時代をやり直すようでした。仕事に行って、普段の生活のことを覚えた。近所の人たちや友達の友達など、普通の人と知り合うんですね。ドイツ社会というものを、少しずつ勉強していくことができました。ベルリンは人の移動が激しいんですが、他の都市はそうでもない。ハンブルクには何代にもわたって住んでいる人たちがいて、そういう定住的な感覚で社会を知るということですよね。 ハンブルクに22年住んでいて、その間もベルリンはよく行きました。高瀬さんと知り合って活動を始めた頃も、私はベルリンには住んでいませんでした。ベルリンはアーティストや外国人が多く、移動しつづけている。最初は怪しげな人々が浮遊しているだけで、ちゃんと生活しているんだろうかという印象があったんですね(笑)。それで変な街、というより、文化センターの大舞台のように捉えていました。 引っ越してから最初は東ベルリンのパンコウというところに住みました。壁が崩れて時間が経っているとはいえ、冷戦の歴史を感じることができる。東西ドイツに分かれていた頃の歴史が、廃墟という形で家の周りにあって。散歩に行っても、歴史の舞台に立たされたような感じがしました。だから文化的に活動するには本当に面白い。この街だったら暮らしは一体どこにあるんだろうという疑問を持ちました。 ーーそういうイメージだったんですね。それでもやはりベルリンに住んでみようと思ったと。 多和田:もちろんベルリンに住みたかったし、住めてよかったと思います。ハンブルクは壁が壊れる前は、もうちょっと多様だったんですよ。つまりベルリンは陸の孤島だったから独特の文化があったけれど、みんなすぐにベルリンに行けるわけじゃない。国境を通って面倒くさいしということで、西の中だけで西ドイツの文化ができていた。ハンブルクという都市の持つ意味はもう少し大きくて、多様性がありました。 それが壁が崩れて、いろんな文化の人たちがハンブルクから流出して、ベルリンに行ってしまった。そこに残ったハンブルクというのは、今でも好きですけど、文化的に見てローカルな性質を帯びてしまったと思うんですよね。例えば、一種のジャーナリズムや建築などの特殊な分野ではハンブルクはすごい面があるんですけど。でも非常に特殊だし、劇場にしても「こことここ」などと大体面白いところは決まってしまっている。ベルリンだったら数も多いし、新しいものも生まれてくる。ドイツ統一後、今現在の可能性という意味では、ベルリンが大きな意味を得たような気がしますね。
篠原諄也