朝ドラで描くには重すぎる? 滝藤賢一&余貴美子の名演が『虎に翼』に与えたリアリティ
多岐川の描かれていない“人生”も浮かび上がらせた滝藤賢一
余貴美子は第23週、バナナを食べながら「ごめんなさい」と謝り続ける場面が圧巻だった。体も脳も老いて自制が効かないながら、心はまだ自分がいて、思うように動かない自分を悔しく思っている感情が伝わってきて、老いた人間の壮絶さを表現していた。夫亡きあと、血のつながらない子供しかいない家でひとり暮らす百合のことはそんなに描かれてこなかったが、彼女の老いにはいろいろなことを考えさせられた。第24週の最後は、寅子と航一(岡田将生)に連れられて散歩に行こうとするとき少し微笑んでいるのを最後に、ナレ死。穏やかな表情で終わってよかったと思う。 同じく第24週、第120話の多岐川の死には、家庭裁判所と少年法については正直よくわからないながら、多岐川はとにかく心血を注ぎ、また、関わった人たちを大事にしたことがひしひしと伝わってきた。以前、番宣番組に出た滝藤賢一が台本にびっしりメモを書いているものが映されたが、それだけ役に向き合っているからこそ、たまにしか出ない多岐川の後ろにしっかりした轍が見えるようだった。 少年法の改正案を聞いて、涙しながら抗議文を作成しようと口立てで語っているときの表情は決して暗くなく最後まで希望を失っていないように見えた。自分が亡くなっても、あとに残った者たちが引き継いでくれるという希望を。 多岐川が亡くなる前は、香淑と娘の薫の関係がよくなって、兄・潤哲(ユン・ソンモ)とも再会し、「愛」を実感しみんなで楽しく語り合っている、その表情は楽しそうだが、顔には病で衰えた疲弊がある。そのあと、彼の死が、桂場(松山ケンイチ)に伝えられる。百合、多岐川、どちらも生々しい演技をするので、死の瞬間はなく、少しホッとした瞬間を最後にして良かったのではないかと思う。たぶん、臨終のシーンを見せたら重すぎる。 このふたりがいなくなって、ドラマの重厚さ、リアリティは誰が受け持つか。ひとり老けメークをきちっとしている松山ケンイチの双肩にかかっているだろう。椅子のカバーを大きな音を立てながら形を整えている動作など、桂場の食えない感じがよく出ていた。団子や皿を食べている人ではない面を思う存分発揮してほしい。
木俣冬