「強豪の推薦より一般受験」「単身ケニアに行ってAO入試」彼らはなぜあえて“慶應から箱根駅伝”をめざすのか…予選会直前、慶應競走部の青春
「陸の王者」慶應義塾大学。しかしその競走部は、長らく箱根駅伝から遠ざかっている。意外にも思えるが、資金難を克服すべくクラウドファンディングまで行って合宿を敢行しているという。スポーツ推薦枠もなく、強豪校とはまったく異なる環境。それでも、それぞれの思いを胸に予選会に挑もうとするメンバーたちを追った――。<全2回の後編/前編から読む> 【貴重写真】「あの名門がクラファンで!?」資金も推薦枠もないなか、熱く練習する塾生たちの独占写真を見る 31年ぶりの箱根駅伝出場を目指し、クラウドファンディングなどで強化を続ける慶應義塾體育會“競走部”。予選会突破に向けて着々と準備をつづけているが、慶應の主力は他校の主力と変わらない力がある。田島公太郎主将(4年)はその筆頭だが、同じ4年生でチームを牽引するのが、木村有希(4年)だ。 慶應大学に進学したのは、都道府県対抗駅伝で福島県の監督を務める安西秀幸の一言が決め手になった。 「中2の時、安西さんに福島県のメンバーに選んでいただいたのですが、指導が素晴らしかったんです。その安西さんから、慶應で保科(光作)さんがコーチとして指導することになったので、『慶應に行け』と言われたんです(笑)。安西さんが言うんだから間違いない。それを真に受けて慶應に行きたいと思ったんです」
強豪校の推薦よりも受験で慶應へ
高校3年時、木村は複数の駅伝強豪校から推薦枠をもらえた。だが、入試で慶應に合格し、陸上部に入った。 「入学する前から箱根駅伝プロジェクトは知っていましたが、僕自身は箱根に憧れも興味もなかったです。高校では中距離をやっていたので、長距離の箱根に対してビジョンが持てなかったんです」 だが、大学では箱根が軸になる。慣れるまで長距離は大変だったが、1年目の箱根予選会では64分43秒で135位、チーム内3位という成績を残した。期待された2年時はアキレス腱の故障などで予選会に出場できなかった。
「陸上やっている意味がない」
「2年目走れなかったのは、ひとつは自分の意識の低さです。高校の部活の延長みたいな感じで、なぁなぁな感じでやってきたので競技者としての自覚が足りなかった。あと、自分は練習前にドリルとか、準備に重きを置いてやっていたんですけど、そういうのを過剰に意識し過ぎて、いざ走るとなった時に活かせず、自分の本来の走りができなくなってしまった。意識と自分の力が噛み合っていなかったですね」 どうすべきか、悩みの淵に落ちた。普段から連絡を取り合っていた安西監督には「陸上やっている意味がない。やめた方がいい」と厳しい声で言われた。 「競技に対してではなく、競技者としての姿勢について言われたのですが、自分の考え方や意識を変えていかないといけないなと思いました。ここが僕にとってはターニングポイントになりました」 大学2年の1月からシンプルに自分の状態を確認しながら練習を積み重ねていった。大学3年の4月、6大学対校戦5000mで13分54秒42の塾記録と自己ベストをマークすると、6日後の世田谷記録会10000mでも28分47秒04で自己ベスト、塾記録を更新した。 「去年はけっこう距離を踏んできました。僕は高校時代、中距離だったのでスピードはあるけど長距離のべースが無いなと思っていました。そのために朝練前にアップがてら2、3キロ走り、合宿中のジョグも12キロを15キロにするなど夏は、月間1000キロはいっていたと思います。予選会の公園内はきついコースなので、最低キロ3分の土台をつくるのには十分な練習が出来たと思っています」 その秋の予選会では、62分30秒でチーム内トップ、24位でチームを牽引した。
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