なぜ下士官までが極刑に 41人が死刑 石垣島事件の特殊要因は~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#47
井上大佐が書いた「真相」
石垣島事件では、米軍の調査官から首を絞められるなどの暴力を受けて調書を取られたと証言している者が多数いる。井上大佐は、暴行は受けていないようだが、それでも供述の強制は受けている。それを裏付けるような文書があった。 井上乙彦名で、「真相」と書かれている。米軍は、井上大佐が一人目の捕虜の斬首を命じた幕田稔大尉と供述を揃えようとしたようだ。 真相 1,幕田訊問でダイヤー調査官は、幕田は「自発的にやった」と強制したらしい 2,幕田は命令であるとどこまでもがんばったらしい 3,その結果井上乙彦との対決となった 4,対決前山田通訳は井上乙彦を別室に呼んで次のように云った「幕田は自発的にやったと既に陳述している」「それで君もその通りに供述せよ」 5,私(井上)はそれには応答せず対決した 6,対決の際、幕田には先に発言させず調査官より発言し質問応答あり 7,スガモMPは数名、室外で聞いていたのを私(井上)は記憶する 証人あり 8,調査官は私(井上)に強制して「命令ではなく質問形の話をしただろう」と云わしめた それで「それは命令ではない」と断言しようとした 9,私は「命令したのである」と断言した 弁護人が所持していた資料の中にあったこの文書。米軍が描いた「共同謀議」の筋書きに合うように強制された取り調べの中で、井上大佐も、後に裁判で「真実と違う」と否定した調書を録られていたー。 〈写真:石垣島警備隊司令 井上乙彦大佐(米国立公文書館所蔵)〉 (エピソード48に続く) *本エピソードは第47話です。
連載:【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか
1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。 筆者:大村由紀子 RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞などを受賞。