「私たちは一貫して黒子です」 斎藤知事「疑惑」のきっかけとなったPR会社社長が学ぶべき「業界の常識」
成果はアピールしない
郵政選挙での自民党圧勝を受け、プラップジャパンの社名が新聞記事などで登場する機会は急増した。しかし矢島氏は、そういう形で表に出ることを、必ずしも嬉しく思わなかった、という。 「もともと私たちの仕事は、表に出てその成果をアピールするようなものではありません。もちろん当社は秘密結社ではありません。創業してからすでに35年以上経ちましたし、2005年にはジャスダック市場に上場も果たしています。 しかし、私たちはこれまで一貫して『黒子』の立場をとっていました。そのため、仕事の『過程』そのものがメディアに取り上げられることは滅多にありませんでした。 そのかわり、私たちの仕事の『成果』は、皆さんお気づきにならないところで目にされているはずです」 その状況を一変させたのが2005年総選挙だった。 「自民党の驚異的な勝利とPR戦略とを結び付けた報道が急増しました。そして私たちのことが取り上げられるようになったのです。私たちの仕事が少しでもクライアントの利益につながったのならば、それは非常に嬉しいことです」 重要な文章がこの後に続く。 「ただし本来は、守秘義務がありますから、クライアントの名を当社から明かすことはできません。どこそこのPRをやりましたか、と取材されても基本的にお答えしません。 自民党の場合も、当社から『選挙で成果を上げた』などとアピールしたことはありません。先方が取材などで当社の名前をオープンにされているので、いまさら否定しても仕方がないというだけのことです」 同書で取り上げた実例はすべてクライアントに了承を得たうえでオープンにしたものだ、という。
手柄はクライアントのもの
仕事を受注した経緯についても述べているが、ここでもかなり慎重な表現を選んでいることが分かる。自民党がPR会社の導入を決めた背景には、民主党(当時)の動きがあった。野党第1党の彼らはすでに2003年の衆議院選挙段階で外資系PR会社と契約をしていたのだ。 「そもそもPR会社と契約したいと考えた自民党から、コンペを行うから参加しないか、というお誘いを受けたのは2004年9月のことでした。この時点では、総選挙が近いなどとはまったく考えられていません。ご存知の通り、翌年の『郵政解散』は誰もが予想していない事態でした。従って、あくまでも党の通常の広報活動のお手伝いをするというのが最初のお話だったのです」 さらに、自分たちの関与についての手柄話をなるべくしないようにしている点も目を引く。 「選挙後、マスコミは、この自民党のPR戦略について次のように分析していました。自民党がPR会社とはじめて契約し、選挙中には世耕弘成参議院議員(当時)を中心に幹事長室、広報本部、政務調査会、情報調査局など党本部職員を横断的に組織し『コミュニケーション戦略統括委員会』を作り、それが党の広報戦略を成功させた、だから選挙で大勝したのだ、と。 この分析は間違ってはいないでしょうし、PRを担当した会社としては光栄な話でもあります。しかし、やはり根本は、リーダーたちが『伝える』ということに強い意欲を持っていたかどうかの差(注・民主党と比較して)だったと思います。(略) ですから、総選挙大勝の原因はときかれれば、私はまず小泉総理の天才的スピーチ感覚、そして見逃されがちですが、武部幹事長のこれまた類まれな補佐役としての才能を挙げます」 ここでもクライアントを立てることを忘れていないのである。