古代史の解けない謎、ストーンヘンジの巨石はどう運んだのか 水上か陸上か、ピラミッドとの比較は
古代遺跡には常に「分かっていること」と「分かっていないこと」がある。いつ、どこで、誰が、何のために造ったのか。考古学の素人である私は、つい急いで答えを聞こうとしてしまう。だが専門家に言わせれば、話は単純ではないようだ。 【写真】夏至の日のストーンヘンジ 英南部ウィルトシャー州の世界遺産ストーンヘンジは、石を円形に並べたストーンサークル(環状列石)だ。見る者を圧倒する巨大遺跡で、年間約100万人が訪れる英国屈指の観光地でもある。いつ行っても、観光バスが忙しく発着している。 建造期間はかなり長く、だいたい紀元前3000年から同1500年ごろまでと判明している。だが「なぜ」造られたかは分からない。英イーストアングリア大のサイモン・ケイナー教授(考古学)は「誰が、何の目的で造ったのか。質問は単純でも、答えはかなり複雑なのです。ただ、さまざまな時代の人々の墓だったのは確かでしょう」と話した。 ストーンヘンジからは人骨が見つかっている。少なくとも150体以上が埋葬され、墓としての機能があったのはほぼ間違いないという。ケイナー氏は日本の縄文時代研究の第一人者としても知られ、英セインズベリー日本芸術研究所長も務めている。 一方で「天文観測」の施設としても使われたらしい。遺跡の中心から77メートル北東には、遺跡の入り口を示すとみられる石がある。この石と遺跡の中心を結ぶと、その線は「夏至の日の出」や「冬至の日没」の方向に一致する。古代人は、こうして季節を把握しようとしていた可能性がある。 近年話題になっているのは、そもそもこの巨石が「どこから、どうやって運ばれてきたのか」という点だ。 ストーンヘンジには主に大小2種類の石がある。遺跡の外側をぐるりと囲む「大型」の石は、大きいもので高さ7メートル、重さ25トン超にもなる。一方でその内側に並ぶ「小型」の石は、大きいもので高さ2・5メートル、重さは5トン前後だ。小型といっても、とてつもない大きさである。 これまでの研究では、「大型」は比較的近い25キロ北の場所で産出され、「小型」は240キロ西のウェールズ地方から運ばれたとみられていた。だが今年8月、驚くような新説が発表された。それは「小型」の石の一つが、約750キロも離れた北部スコットランドから運ばれたとの見方だ。豪カーティン大や英アベリストウィス大などの研究チームが、英科学誌ネイチャーに発表した。 研究チームが分析したのは、遺跡中心部にある「祭壇石」(オルターストーン、縦5メートル、横1メートル、高さ50センチ、重さ6トン)と呼ばれる石だ。鉱物の年代や組成を調べたところ、紀元前2620~同2480年ごろに現在のスコットランド北東部から運ばれた可能性が高いという。 ただ、素朴な疑問がある。「なぜ」運ばれたかはもちろん知りたいが、そもそも相当な長距離を「どうやって」運んだのだろう。 研究を主導したのはカーティン大大学院生で、ウェールズ出身のアンソニー・クラーク氏。英紙タイムズに、「陸路は障壁が多く、海上輸送が実現可能な選択肢」と語る。 この新説が浮上する前から、実は「陸路か海路か」の議論は常にあった。ケイナー氏は、ウェールズから運ばれた小型の石についてはこう話した。「考古学者たちはこれまで多くの方法を考えてきました。いかだやボートに載せて水上で運ぶ方法のほか、木製のレールで線路を造る陸上運搬も検討されました。ロープを使い、数百人が石を線路で運ぶやり方です。私の考古学者仲間は、それをトラム(路面電車)と呼んでいます」 2000年には、実際にウェールズから巨石をいかだで運べるかどうかの実験も行われた。だが用意した3トンの石は、途中で海に沈んでしまったという。 ここでふと思い出したのが、エジプトのピラミッドの石を運んだ方法だ。 13年、紅海沿岸の町ワディ・エルジャルフで、世界最古とされる紀元前26世紀のパピルスが見つかった。パピルスとは英語のペーパー(紙)の語源となった水草で、古代エジプト人はこの茎を割いて乾燥させ、現代の紙に似た素材を作り上げた。 発見されたパピルスに書かれていたのは、ギザのピラミッドで有名なクフ王に仕えたメレルという人物の日記だった。そこには、ピラミッドの外側を覆う石を運んだ過程が古代のヒエログリフ(神聖文字)で記されていたのだ。 私はカイロ特派員時代の17年、この現物を見たことがある。カイロのエジプト考古学博物館の収蔵室に保管されていたそのパピルスは、赤いインクも色落ちしておらず、とても4500年以上前のものとは信じられなかった。博物館で遺物の修復作業を管理するモアメン・オスマン氏は当時、ミイラが並ぶ執務室でこう説明してくれた。 「石を運んだのは、メレルが率いたチームでした。このパピルスには、彼らがナイル川沿いの町トゥーラから石灰岩を切り出し、船に詰め、ピラミッドの建設現場に運んだと記されています」 ピラミッドの石の一部は、主に「水上運搬」だった。それは文字による記録が残っていたからこそ判明した事実である。しかしほぼ同時期に造られたストーンヘンジは、何も記録が残っていない。 私がロンドン支局に着任したのは22年4月。以来、たった2年半だけでも、英国ではストーンヘンジを巡る多くの説が飛び交ってきた。 ストーンヘンジはなぜ造られたのか。石はどこから、どのように運ばれたのか。古代史の謎は、まだまだ現在進行形なのである。【ロンドン支局長・篠田航一】