ドッグフードや犬用サプリメントは戦前から存在した!? 今では信じられない昭和初期のフード事情
古代から人と犬は共に生きてきた。そして、私たち人間の食生活が時代を経て変わってゆくように、犬もまた食事が変化してきた。ドッグフードは戦後入ってきたものだと思われがちだが、じつは昭和初期には輸入が始まっている。今回はドッグフードの歴史を順を追ってご紹介しよう。 ■古代から戦前までの犬の食事 犬は日本列島で縄文時代から人間と暮らし、主に狩を共にしていた。日本犬の源流は猟犬である。人間自身も狩をすることによって生をつないでおり、犬はその残り物を食べていたと考えられる。 人間と行動を共にしない山犬や野犬は、自分のために狩をして食べていたことだろう。犬がお散歩を好むのは、食べ物を求めて放浪していた過去の名残りだという説もある。 人間の生活が狩猟より農耕中心になると、犬は作物を食べる害獣を追い払う役目を担い、残り物を食べ、人間から餌を与えられるようになる。村や町をうろつく野良犬は、生きるために餌を探し回らなくてはならず、ゴミを漁っていた。 8世紀頃から10世紀頃にかけて律令制が整い、現代につながる国の形が定まってくると、戦いや飢饉、流行病が度々起きたことが記録されている。作物も実らず、人間さえ食べるものがなく次々に斃れていった。犬に食べるものがあろうはずはない。想像したくもないが、犬はゴミを漁るほか、行き倒れたり放置されている人間の死体を食べることも多かった。 しかし、戦乱の世が収まって江戸時代になると、長い平和が訪れる。野良犬は寺や神社の軒下などで出産し、町の人々から餌をもらい、共同体の一員として一緒に伊勢参りにまで行っていた。 各地に地犬がいた頃は、その地方の特産物を食べていたと思われる。例えば、今は紀州犬としてまとめられている太地犬(たいじいぬ)は、捕鯨の町として知られる太地町に生息していた犬で、切り落とされた鯨の屑肉などを食べていた。 やがて明治維新で洋犬が流入すると、ペットとして犬を飼うという意識が富裕層から生まれる。これら幸運な犬たちは、飼い主が買った肉を食べることさえできた。とはいえ、そういった犬たちは例外中の例外で、ほとんどの犬は可愛がられても残飯をもらい、飼い犬も野良犬と一緒になって町をうろついていたのである。 たとえば、大正から昭和初期を生きて、上野博士や周囲の人々に可愛がられたハチ公は、家族から肉などの食べ物を与えられていた。だがそれ以外にも、近くの食堂で残り物をもらったり、渋谷駅前の屋台で客が投げる焼き鳥も食べていた。ハチ公の死因はフィラリアだが、体内には焼き鳥の串もあった。当時の比較的恵まれた犬の食生活がこれだった。 ■昭和初期には既にドッグフード・サプリメントが登場! ドッグフードはハチ公の生前、すでに誕生していた。戦後に初めてアメリカから入ってきたという通説は、完全な間違いである。にもかかわらず、ChatGPTで質問してもそういう答えしか返ってこない。 つまりネット上にも、間違った情報しか出回っていないということだ。生成AIはどんなに発達しても、自分の意志や志を持って資料を読み込み、事実を掘り起こすことはできないのである。 そもそも、サプリメントなら明治時代から存在していた。主に牛骨粉などである。これは今でも牛の飼料などに使われている。外国製ドッグフードも昭和5年(1930年)あたりから輸入されている。ドッグフードと言っても、その頃はビスケット状が多かった。当時の日本には、欧米からどんどん最新情報が入ってきていた。 昭和8年(1933年)には愛犬雑誌に、純国産を謳った「インネンドルフ犬ビスケット」の広告が登場した。「肉・ミルク・カルシューム入り」で「農林省・陸軍歩兵学校御用」、製造元は新宿ボルガである。 特約店として新宿・中村屋、京橋横浜・明治屋、虎ノ門・不二屋、京都・大丸といった有名店の名前が並んでいる。このドッグビスケットについては、「犬」という字の点を見逃し、大ビスケットと勘違いして買った人が、硬くて食べられなかったという笑い話もある。 他に「名犬印ドッグビスケット」の広告も出ている。「日本エアデールテリア協会御推奨」で、製造は東京パン株式会社である。また「犬の完全飼料」という謳い文句の「ヴィタ・ジェット」という商品もあった。 昭和12年(1937年)には日本水産(現在のニッスイ)が、より本格的な「ヒノマル印ドッグフード」を発売した。「帝国軍用犬協会御推奨」である。日本水産は鯖(さば)の缶詰を作っていて、どうしても出てしまう残滓の有効利用としてドッグフードを開発した。帝国軍用犬協会が軍用犬で試して有効性を確認した。 昭和16年(1941年)には三井物産厚生食料研究所が、「軍犬口糧」という名前のドッグフードを開発している。商品名に時代が反映されている。開発にあたって助言と試験を担当したのは、この連載に何度も登場している新宿中村屋二代目社長、相馬安雄である。 「愛犬家の福音 理想的栄養食」と銘打たれ、日本シェパード犬協会の機関紙『シェパード』、帝国軍用犬協会の『軍用犬』を初め、各犬雑誌に広告を出した。新宿中村屋でも販売していた。相馬安雄の犬界に対する貢献は素晴らしいが、ほぼ忘れられている。 そもそも、戦争前の状況自体が歴史の彼方に消えているのだ。これが戦後史観の特徴で、アメリカによる民主化以前、日本は半未開の何にもない国だったように思われている。そのため、ドッグフードも存在しなかったことになったのだろう。 もちろん、これらのドッグフードを購入していたのは少数で、戦後もなお、多くの犬たちは人間の余り物を食べていた。そんな状況を変え、ドッグフードが普及するきっかけの一つになったのが東京畜犬事件である。その内容は、連載「日本人と愛犬の歴史」#19「昭和最大の犬の事件『東京畜犬事件』」に詳しい。 昭和38年(1963年)、東京オリンピック開催の前年に設立された東京畜犬は、犬を利用した大胆な利殖商法を展開した。その中に、アメリカ製のドッグフード「バーガービッツ」を購入すれば、医療費が割引されるという仕組みがあったのだ。 これによってドッグフードの認知度が高まった。さらに高度経済成長に伴うペットブームの到来によって、安価なペットフードが登場した。多くの人が気楽に犬を飼える環境が整ったのである。 1980年代に入ると犬ブームも頂点に向い、ドッグフードの需要が一段と高まる。栄養バランスを考えた高品質商品も開発され、内容がどんどん多様化していく。その後、その傾向は一層強まっていく。 今や、ドッグフードは犬種別年齢別に細部化され、高齢犬や病気を発症した犬のための療法食も充実してきた。純国産原料や有機農法による原料を使用したもの、少量生産の高級ドッグフードなど種類も豊富だ。飼い主の知識量も増え、ドッグフードに求める条件がどんどん高度化している。 それに伴い、人間と同じように犬の寿命は伸びて高齢化し、介護の問題も出てきた。犬の一生は人間のそれに似てきている。ドッグフードはこれからも、日本人の生活や意識を反映して変化していくことだろう。
川西玲子