”昭和100年”の曙に…「いい響き」「検証される昭和、すごい」「激動、どう伝えるか」思いさまざま
令和7(2025)年は「昭和100年」。 64年続いた昭和から平成、令和へ。8月15日には戦後80年の大きな節目を迎える。 【画像】2025年「初日の出」~あべのハルカス 昭和を振り返るに、忘れてはいけない太平洋戦争。その敗戦からの復興という激動の時代の体験や記憶を、いかに後世につなげるかが問われている。 また、戦後のベビーブームで生まれた“団塊の世代”の全てが75歳以上の後期高齢者となる。これに伴う社会の枠組みを構築するのは喫緊の課題だ。 1989(昭和64・平成元)年、昭和天皇崩御の際26歳だった神戸市東灘区の男性(62)は、「大きな出来事でだったが、日常生活が大きく変化した印象はなかった。市民レベルでは“普通”の時間が流れ続けた。昭和といえば、戦争と急速な復興、そして高度経済成長。私たちはそこに乗っかって生きてきたのでは」と振り返る。 戦前・戦後という区切りで、印象が全く異なることを示すのが、1934(昭和9)年生まれの大阪府茨木市の女性(90)。 「『終戦』『敗戦』の年、1945(昭和20)年が強烈に記憶に残る」と話す。「今まで信じていた日本が、実は誤った舵取りをしていたことに気付かされ、社会が劇的に変化した」ことは忘れられないと語る。 「もうそんなに経つのか、というのが率直な感想。100年という区切りをつけるほど、さまざまなインパクトを与えた『昭和』ってすごい。日本は年号というカテゴリーで時代検証をする、これもひとつの文化」と話すのは、フランス・トゥールーズ在住の女性(38)。 「戦争は昭和、災害は平成・令和の印象が強い」と話すのは大阪市中央区の女性(26)。 「100年の間にあった戦争や災害などが、“そんなこともあったんだ”と風化しているのだと思う。当時を知る気持ちも大切だし、次世代に伝える方法を考えないといけない」と答えた。 京都市西京区の男性(74)は、「『昭和100年』の間に、戦争、高度成長、1970年大阪万博、バブル景気、阪神・淡路大震災などの災害多発などで、“苦難”と“高揚感”が折り重なった。 歴史は繰り返すというが、次の100年は“苦難”をいかに抑えるか」と話す。 「ええ響きやな」。兵庫県姫路市の男性(57)は、“昭和のおおらかさ”を思い出す。 「今の世の中、情(じょう・なさけ)はなくなったのかな。コンプライアンスという名のもと、人との距離や壁ができてしまった。人は人と声掛けあって、温かみを知る。今は格好良く言えば“ドライ”なのだろうが、人は“ホット”でなければ。そうそう、その“ドライ”ってビール、昭和の終わりに爆発的ヒットでしたな。皮肉なもんやな」と笑う。 2025年、1月17日は阪神・淡路大震災から30年、4月25日にはJR福知山線脱線事故から20年、8月12日には日本航空ジャンボ機墜落事故から40年。さまざまな節目を迎える。 今年(2025年)4月13日には大阪・関西万博が開幕する。メインテーマ、“いのち輝く、未来社会へのデザイン”をどう描くのか問われる試金石は、すぐそこにある。
ラジオ関西