IQ180の台湾の天才が初めて体験した「マイノリティ」…「正しさ」と向き合って生活した“驚愕の”幼少期
コロナ禍において国民全員にマスクを配布するシステムをわずか3日で構築し、世界のグローバル思想家100人にも選出された若き天才オードリー・タン。自身もトランスジェンダーであるタン氏が、日本の若者に向けて格差やジェンダー、労働の問題からの「解放」をわかりやすく語る『自由への手紙』(オードリー・タン著)より抜粋してお届けする。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 『自由への手紙』連載第14回 『「ハッシュタグが“国家”を超える」…台湾の若き天才が語る「オンラインツールの可能性」がヤバすぎる! 』より続く
正しさから自由になる
自分がマイノリティであることに気づいた、いちばん最初の記憶は7歳のときです。 あれは小学校のカリグラフィーの授業。子どもたちはみんな鉛筆を持って、お手本通りに文字を書いていきます。 「君は左手書きを好む10%の少数派だね」 先生に言われてまわりを見れば、みんな右手で鉛筆を持っていて、私だけが左手でした。 横書きで書いていく場合、文字は左から右に進むため、左利きだと書いた文字が手で見えなくなります。 「普段、書くときは左手のままでいいよ。書道のときは左手のまま、右から左へ書く練習だってできるし」 両親と先生からは、そう言われました。そもそも漢字を縦書きに書くときは、行は右から左へと進むのです。
左手より右手より両手がいい
1981年生まれの私が6歳だったとき、台湾政府は中国国民党による一党独裁で、38年間もの戒厳令下にありました。 国が決めた「正しさ」がより強調されていた時代です。 そして当時の正しさは「右手で書くこと」でした。 社会に順応するために、私は右手で文字を書く練習をしなければならず、これが結構、大変でした。 結局、右手での手書きの練習は1年間だけ。なんとか右手で鉛筆を持つことを身につけはしましたが、ひとりのときは左手で書いていました。生まれたときからの、自分の利き手で。 1987年7月15日、戒厳令は解除されました。 それからは「どっちの手で書くのが正しいか」なんて気にする人はいなくなりました。私はタイピングに切り替えてから、右手で書く練習はいっさいしていません。 タイピングはどのみち両手打ちですから、両手利きはがぜん有利になります。実際、私の手書きは今もひどいものですが、タイピングならとても速い! この「利き手の話」は、セクシュアリティの話の縮図です。いずれの場合も、少数派は、自分のことを隠していなければなりませんでした。どこかの誰かが知らないうちに決めた「正しさ」に照らし合わせて、それと異なるというだけの理由で。 右利きでもいい。左利きでもいい。 誰かが決めた「正しさ」に合わせていたのは、過去の話です。 『「私が愛するのはホモサピエンスです!」…台湾の若き天才が「トランスジェンダー」を受け入れるまでの“衝撃の”過去』へ続く
語り)オードリー・タン