ギャルに再び脚光、令和時代は「マインド」重視に 朝ドラ「おむすび」で注目
誰にでも等しく明るく接するが、「挨拶や敬語はちゃんとしたい。バイト先や学校の先生とか目上の人とのLINEは絶対に敬語を使います」(高橋さん)。SNS上でも、誰かを傷つけないか、嫌な気持ちにならないかと気を付ける。令和のギャルはコミュニケーションのバランス感覚に優れていると感じた。
端緒昭和から
「見た目の華やかさだけでなく、明るくてコミュニケーション能力が高くて機転が利く、といったポジティブな捉え方をされることが多い」
令和のギャルについて、そう語るのは、明星大で若者文化などを研究する荒井悠介准教授(42)。荒井さんは平成時代の「ギャル男」だった。
ギャル文化の萌芽は、1970年代(昭和45年~)ごろには見られたという。
サーフファッションに身を包んだ若者が東京・渋谷に集まるようになり、80年代(同55年~)になると、後輩世代の裕福な私立高生らが、アメカジ(アメリカンカジュアル)ファッションに身を包んでたむろして「チーマー」と呼ばれるように。
「彼らの取り巻きの女性たちは、リゾートファッションに身を包んでいたことから、『パラギャル(パラダイスギャル)』と呼ばれ、その後のギャル文化につながっていった」(荒井さん)。
■流行生み出す
90年代、つまり平成に入ると、ギャルが次々と流行を生んだ。女子高生の間で、ミニスカートとルーズソックスの「コギャル」スタイルが流行。歌手、安室奈美恵さんの影響で厚底ロングブーツと茶髪ロングヘアの「アムラー」スタイルがブームとなった。
90年代後半から2000年代にかけては、歌手の浜崎あゆみさんが象徴的存在に。一方で、肌を黒くし、目元のメークを強調した「ガングロ」や、さらに唇などを白く塗った「マンバ」など、パワフルなギャル像が際立った。
平成が終わり、迎えた令和。停滞感とともに語られた時代を、明るく強く生きたギャルの姿を、放送中のNHK朝ドラ「おむすび」では描く。令和になり株主総会にギャルを登用したカヤックの梶さんは「ギャルには難しいものを柔らかく、楽しむ力がある。今後もまた一緒にお仕事ができたら」と語った。(本江希望)