放送界の先人たち・川平朝清氏 ~「プロレスをやったら受信料払ってやる」沖縄の本土復帰前後の苦労語る~【調査情報デジタル】
川平 RBCのラジオの時代はですね、何ていうんですか、いろんな局から番組を買って出してましたでしょう。 野崎 ああ、クロスネットっていうんです。 川平 それから、テレビを始めたときにはまだマイクロウェーブが入ってませんから、まさにもうフィルムで買ったり、あの頃はまだビデオはそんなに入ってなかった時代ですから、キネスコープっていったですか、何ですか、あれ、キネレコ※ 、キネレコって。 ※ Kinescope Recording. テレビ映像をフィルムに変換する装置。 野崎 ええ、画質はすごく悪いですよね。 川平 ええ。ですからニュースなんかもそのキネレコで来たものを放送してるという状況でした。 ですから、そういうことではですね、RBCもテレビを始めるときにですね※、やっぱこれはもう経験のある社とですね、経験のない社との違いだと思うんですよ。 そう言ったら、OTV※※さんには大変失礼なことになるかもしれませんけど、これはちょっと放送の経験のない方たちがよくやってるなっていうような、そんな印象を受けました。しかし、スタッフにはもちろん経験者はいたと思うんですが。 ※ RBC テレビ開局は1960年6月 JNN加盟を前年より申請。 ※※ OTV 沖縄テレビ放送 1959年11月開局 FNN系。 で、RBCの場合は、これはかなり計算していたんですね。マイクロウェーブはいずれ来ると。となると、九州で一番近いところ、鹿児島まで来てる局はっていうことになると、ああ、南日本※だということで、そのあたりの計算はしていたわけですね。 ですから、マイクロウェーブが出来たときには、RBCはJNNに加盟し、TBS系の番組をとると。でしたが、もちろんキネレコ時代ですからいろんな所から番組を買うっていうことはやってましたけども。ニュースはJNN系列にすぐ入りましたですね。 ※ 南日本放送(MBC) テレビ開局は1959年4月、JNN系。ラジオは1953年10月開局。