徹底検証 台湾・ひまわり運動はなぜ社会運動となったのか
若者世代の不満
「ひまわり運動」のリーダー・林飛帆は1988年生まれの26歳だ。台湾で「苺世代」とも呼ばれるこの世代の若者たちは、1987年に解除された戒厳令を知らない世代だ。若者たちは少子化や格差拡大といった環境のなかで育ち、雇用状況の相対的な悪化に直面している。政治への不満やグローバリズムへの懐疑といった意識を強く持った世代だ。彼らが学校教育をうけた90年代には、台湾の民主化が進み、それまで学校教育で禁止されていた台湾語の課外授業もおこなわれるようになった。中国と異なった文化や歴史を持つ「台湾人」としてのアイデンティティも他の世代に比べて色濃くある。 彼らの不満は社会運動というかたちで表出された。2008年の野いちご運動、2009年のカジノ反対運動、2012年の 反メディア寡占運動、2013年の新兵ハラスメント死亡に対する抗議運動ーーーー「ネット世代」の彼らは、SNSを活用した動員の技術に長けていた。「サービス貿易協定反対運動」も、協定が締結された2013年6月から存在していた。だが、当初の運動は限定的な広がりをみせただけで、世論を巻き込むまでには至らなかった。その理由の1つには、世代間による問題意識の差があったと思われる。 だが、今年3月の馬政権による委員会審議の強制打ち切りを契機として、「サービス貿易協定反対運動」は「ひまわり運動」という社会運動に発展した。学生たちの立法院の占拠という超法規的な行動に、世論は一定の支持を与えた。統府前で3月30日におこなわれた大規模デモにはで50万ともいわれる数の人々が集まった。 馬政権による協定審議の強制打ち切りが、若者たちの不満と世論の不信を結びつけたーーーーそれが「ひまわり運動」が大きなうねりを生み出した1つの理由といえるかもしれない。