札幌の文化をけん引『シアターキノ』 マニアック映画など20年来上映
『駅裏8号倉庫』はおよそ5年ほどの活動を経て、メンバーそれぞれの活動に戻る形で終わりを迎えましたが、中島さんを含め、他のメンバーも「自分たちの表現をするためには、公共のものでは難しい」と判断したそうです。 「舞台でいうと、釘1本自由に打てない場所で何ができるのか、ということです(笑)。僕はやっぱり映像なので、『イメージガレリオ』という自主上映ができるアートギャラリーを立ち上げました。それが1986年なんですが、市民の方から出資をいただいてオープンすることができました。これが『シアターキノ』の前身ですね。『イメージガリレオ』のオープンから5年ほど経ったときでしょうか、当時札幌にあったミニシアター4スクリーンが相次いで閉鎖されることになったんですが、そのようなミニシアターを引き継ぐ人が現れなかったんです。そこで映画館のオーナーになるつもりはなかったんですが(笑)、『イメージガリレオ』でも大型劇場では上映されないような自主製作の映画、アートフルな映画、実験映画を上映していたので、『札幌にないものをフォローする』という気持ちで、『イメージガリレオ』を改装して『シアターキノ』が誕生しました」(中島さん)
映画ファンの危機感で全国から出資金
このように、札幌の文化を絶やさないために、『シアターキノ』のオーナーになることになった中島さん。同時経営した飲み屋を人に任せ、夫婦で全国のミニシアターを巡り、その仕組みを勉強する旅に出ました。ミニシアターとはいえ、本格的な映画を上映するためには、その機材費だけでも膨大な金額がかかるため、夫妻の貯金に加え市民出資を募る形で、何とかスタートに漕ぎつけました。 「こんな小さな映画館に銀行はお金を貸してくれませんから(笑)。でも、このようなミニシアター閉鎖の動きは全国的な傾向だったので、全国の映画ファンが危機感を持って立ち上がったタイミングでもあったんです。福岡や広島からも出資があり、合計103名の出資者で合計1380万円が集まり、35ミリの映写機を導入してスタートしました。そこが29席、日本一小さな映画館だったんです」(中島さん) 市民出資を受けてスタートした『シアターキノ』は、スタートから映画ファンに支えられていました。この後、20年以上にわたって札幌の文化を支える存在となるわけですが……それについては、次回紹介していきます。 (ライター・北海道観光マスター/橋場了吾)