札幌の文化をけん引『シアターキノ』 マニアック映画など20年来上映
札幌市には、関東以北最大の繁華街・ススキノから少し北に行った先に「狸小路」というアーケード商店街があります。その商店街のちょっと南寄り、札幌市中央区南3西6にあるミニシアターが『シアターキノ』です。 この『シアターキノ』、札幌では知らない人がいないであろう、珍しい映画をたくさん上映しているミニシアターで、ここ数十年の札幌の文化の中心を担ってきた存在でもあります。そこで、『シアターキノ』の代表・中島洋(なかじま・よう)さんに、この稀少なミニシアターができた背景、そして今後の展望を聞きました。インタビューは2回に分けてお伝えし、第1回目の今回は『シアターキノ』ができるまでについて紹介します。
日本一小さな映画館として1992年に誕生
『シアターキノ』は、1992年に日本一小さな映画館(全29席)として営業をスタート。6年後の1998年に現在の場所に移転、多くの映画ファンから愛される存在となっています。その『シアターキノ』の代表を務める中島さんは、もともと映像製作をしていましたが、このミニシアターができる前に、原点となる活動をしていました。 「こういうと怒られるかもしれませんが、妻のひろみも含め、映画館のオーナーになりたかったわけではないんです。『札幌での僕たちの役割は何か』……このことを追求していたら、この場所にたどり着いた、という感じです。何か申し訳ないですね」と笑う中島さんは、もともと映画の製作・自主上映などをしていましたが、1981年から『駅裏8号倉庫』という札幌発のフリースペースの運営を始めました。この場所は、フリーマーケットや音楽・映像・劇団などあらゆる芸術の表現者たちのための場所で、中島さんが中心となりアラサー世代12名で立ち上げました。 「『駅裏8号倉庫』は12名の創設メンバーが、それぞれ30万円を持ち寄って始めました。当時は今と違ってライブハウスですら、なかなかない時代でしたから、自分たちが表現する場所が欲しかったんですよね。それが『駅裏8号倉庫』のスタートのきっかけです。この場所から『ベッシーホール』というライブハウスや、今はなき『札幌本多劇場』が生まれました。このような文化の場というものが、自分たちで作らないと札幌にはなかったんです。それで愚痴を言っていてもしょうがないので、自分たちで作ってしまおうと。それが『シアターキノ』の一番最初の原点なんです」(中島さん)