【大学野球】慶大・清原正吾、父・和博さんとの関係は「今では何でも話せる友達」…単独インタビュー
西武、巨人、オリックスでプロ通算525本塁打を放ったレジェンド・清原和博さん(56)の長男で、慶大の清原正吾内野手(4年=慶応)がスポーツ報知の単独インタビューに応じた。一塁のレギュラー筆頭候補として臨む13日の東京六大学野球春季リーグ戦開幕を前に、6年間のブランクがありながら再び野球を始めた理由、父への思いなど、21歳の本音を明かした。(聞き手・加藤 弘士) 【写真】清原正吾のアイドル顔! 中学ではバレーボール、高校ではアメフトをプレー。大学では小学生以来となる野球に再チャレンジした。硬式は初めてだった。なぜもう一度、野球を始めようと考えたのか。 「高校3年がコロナの時期で、アメフトの練習が中止になったんです。実家で過ごす時間が増えて、弟(勝児)は当時中学生で、一緒にキャッチボールをしたり、ノックを打ってあげたりしている中で、だんだん僕も真剣になってきて。『やっぱり野球、楽しいな』と思えたのがきっかけです」 もう一つ、大きな理由があった。野球をやることで喜ぶ人がいる。家族の笑顔が見たかったからだ。 「学生最後というところで、親孝行したいなと思って。父親も事件の件はありましたけど、社会復帰して頑張っていたので。両親が一番喜ぶ選択肢は何かなと考えたとき、もう一度野球をやって結果を残したら、本当に喜ぶだろうなと。そういう意味で決心しましたね」 実家に帰ると、父が助言をくれることもある。弟が昨夏の甲子園決勝で全国制覇を成し遂げた瞬間は、アルプス席で見届けた。 「もともと家族がバラバラになったんですけど、それを野球がつなげてくれた。家族にとって野球は、なくてはならないものだったので。もう一度、僕が野球をやることによって、家族の絆がグッと固くなったんです」 偉大な父の存在は、常にそばにある。練習用のバットには「K.KIYOHARA」の刻印がある。和博さんが現役時代に使用していた925グラムのバットだ。鍛錬に用いて、一心不乱に振り込む。自然と力がみなぎる。 「一昨年や去年あたりから使っています。いろいろ試す中で、父親のバットが僕自身、一番しっくりきたんで。お守りでもあります」 21歳になった。父とは大人と大人として、コミュニケーションが取れる年齢になった。 「父はなんだかんだ言って、一番優しいです。小さい頃は怖かったんですけど(笑い)、あの事件も経て、本当に丸くなって。優しいお父さんになって、今では最高の友達のような感じ。何でも話せる友達です」 同世代が就職活動に励む春。「この1年間で目指せるものなら目指したい」と父と同じ、プロの世界に照準を絞る。1日の東京六大学・社会人対抗戦のセガサミー戦(神宮)では適時内野安打を放ち、6日の日立製作所とのオープン戦(慶大グラウンド)では左越え本塁打を放つなど、社会人の猛者を相手に結果を残した。慶大OBで2学年上の巨人・萩尾の奮闘も刺激になっている。 「萩尾さん、めっちゃ仲いいです。明るいし、面白いし、かっこいい。僕が2年の時の4年で、寮で同部屋でした。焼肉に連れて行ってもらったり、夜中に一緒にYouTubeやNetflixを見たり、めちゃくちゃ楽しかった。かわいがってもらいました。将来またシェアハウスしましょうって(笑い)」 甲子園球児やプロ注目の逸材が集う東京六大学。6年間のブランクがありながら強敵に臆することなく、鍛え上げた186センチ、90キロのフィジカルで堂々と立ち向かう。 「最初は全体練習で僕だけがエラーして、怒られもしないという状況が悔しかった。バットもいっぱい折れました。でも毎日毎日、妥協せずに終わるっていうのが、僕の練習のルーチン。打撃練習で違和感があったら、そこで終わるんじゃなくて、必ずベストな状態で練習を終えるようにしていました。やるからにはチームに貢献したいし、トップを目指したい。そのために一生懸命やりました」 大学ラストイヤーに懸ける思いを、こう語った。 「一年って、あっという間。一日たりとも無駄にできない。最高の仲間と最高の思い出をつくりたいので、『リーグ戦優勝、早稲田に勝つ、日本一』という目標を何とか達成して、後悔なくやり切ったと思えるように、頑張りたいですね」 そのバットで神宮の空に美しい放物線を描く。挑戦のシーズンが幕を開ける。 ◆清原 正吾(きよはら・しょうご)2002年8月23日、東京都生まれ。21歳。慶応幼稚舎3年から「オール麻布」で野球を始め、中学ではバレーボール部、慶応高ではアメフト部でプレー。慶大入学後に野球に再チャレンジ。昨春の法大戦で公式戦初安打。リーグ戦通算5試合に出場し、9打数1安打。弟の勝児内野手は慶応高の昨夏の甲子園Vメンバー。50メートル走6秒5。遠投100メートル。186センチ、90キロ。右投右打。 【取材後記】 インタビュー中、正吾が繰り返し口にした言葉がある。「感謝」だ。対象は両親に慶大・堀井哲也監督、チームメートやスタッフら多岐に及んだ。そして慶応幼稚舎(小学校)の6年間、担任だった慶応・森林貴彦監督への恩義も強い。 「小さい頃からずっと担任でいてくれたんです。高校の野球部出身の人は『森林さん』と呼ぶのに、僕だけ『モリバ』って呼んでるんですけど(笑い)。友達のような存在なんです」 もう一度、野球がやりたい。大学入学前、森林監督に決心を伝えると、堀井監督につないでくれた。恩人に恥じないよう、結果が出なくても練習に打ち込んだ。「本当に、生徒に寄り添ってくれる先生なんです」。昨夏は母校の全国制覇に刺激をもらった。今年は正吾が、日本一の報告をする番だ。(編集委員・加藤 弘士)
報知新聞社