石破首相は「リニア」に興味がない 鉄オタとしては「保守本流」で寝台特急には「1000回乗った」
政界一のオタク議員
自民党総裁選を制し、10月1日に首相に就任した石破茂氏は、伝えられてきたように政界一のオタク議員。鉄道、ミリタリー、アイドル……と博学多趣味な同氏だが、鉄道ファンとしてのスタイルは、かなり古典的だ。【大宮高史/ライター】 【写真を見る】グラビアにも登場したことがある石破首相の「美人秘書」 ***
総裁選直前の9月8日、石破氏は「大好きな鉄道について語りました」と公式Xに動画を投稿。青色の寝台客車「24系」の模型を手に、「1000回は乗った」「まさしく鉄道、旅、非日常感」と、かつて東京と鳥取・島根を結んでいた寝台特急「出雲」への愛をたっぷりと語った。 9月27日には2本目の動画を公開し、特急「こだま」について語る。「こだま」といっても新幹線ではなく、新幹線開業前に東京~大阪を走っていた同名の特急の方。「これに乗った時はうれしかったですね」と語り、また新幹線0系の模型を手に「最初に乗ったのは昭和40年だったかな。その感動は全く色あせることはないですね」とも語った。もっとも、石破氏が「こだま」として手にとっていた模型は実際に同列車に使われた151系電車ではなく、485系電車のようにも見える。 1957年生まれ、中学までを鳥取県で過ごした石破氏は、国鉄がJR各社に分割された当時は30歳。石破氏の幼少期から青春時代は、故郷と東京を結んだ「出雲」のように青色の客車で統一された寝台特急、いわゆるブルートレインが全国をくまなく走り、赤とベージュに塗り分けられた「国鉄特急色」の列車も当たり前に走っていた。新幹線も1982年に東北・上越新幹線が開業するまで、東海道新幹線と山陽新幹線しかなかった。 全国どこでも国鉄として同じ列車が走り、過疎地のローカル線も現代より充実していたこの時代にノスタルジーを抱くマニアは、石破氏に限らず鉄道ファン界ではマジョリティ的存在。模型、写真、旅行……どれをとっても当時の国鉄型車両は人気の一ジャンル。石破氏のスタイルは鉄道ファン界においても長らく「保守本流」でもあった。 赤字ローカル線は国鉄末期に大ナタが振るわれて次々に廃止、あるいは経営分離されていく。JR発足後、各社が新幹線の建設を進めると、並行する在来線の特急やブルートレインも廃止が進んだ。そもそも新幹線と並行する路線自体がJRにとって不要の赤字路線になり、東北線や北陸線といった大幹線ですら地元の第三セクター鉄道に分割された。