92歳、シニアチア最年長の滝野さん「父親の死をきっかけに夫と別居、アメリカ留学。未経験からやってみたい!とチアダンスチームを設立して29年」
長い人生、いつも明るい気分でいるのは難しいもの。笑顔が輝く81歳、92歳、101歳の3人の女性は、山あり谷ありの日々をどう歩んできたのでしょうか(撮影=藤澤靖子) 【写真】元気に踊る滝野さん * * * * * * * ◆楽しむことを制限されたくない 軽快なJポップに合わせて、ピンク色のポンポンがきらきらと輝く。素人目に見ても動きはかなり複雑で、皆さんの表情は真剣そのもの。コーチの指示で鏡に向かって自分の動きを確認するメンバーの中に、少々振りを間違えても常にキュートな笑顔で練習を続けている女性の姿があった。 「ジャパンポンポンでは1年に2曲、新しい演目を仕上げます。振付を覚えなきゃ、練習しなきゃとやっているうちに、気がついたらチームは結成29年。私もなんと92歳になっていました」 そう話すのは、滝野文恵さん。「55歳以上」「自称・容姿端麗」という入会規則を持つシニアのチアダンスチーム「ジャパンポンポン」を設立し、最年長となった現在も活躍中だ。 各地のチャリティショーや5年に1度の発表会では、スパンコールが輝くミニスカートの衣装に身を包み、つけまつげもばっちりで華麗にステップを踏んでいるという。 1932年生まれの滝野さんは、実業家だった父の「これからは女も自立すべきだ」という考えのもと、大学卒業後にアメリカへ留学。帰国後に就職するも、25歳で結婚し、男女2人の子どもに恵まれた。 「性格が合わなかったんでしょうね。最終的には顔を見るのも嫌になるくらい、夫との関係は悪化しました。でも、離婚に否定的な時代でしたし、私自身、子どもの受験が終わったら、社会人になったらと時期を見計らっているうちに、時間ばかりが経ってしまって」
現在の弾けるような笑顔と、ハキハキと意見を言う滝野さんの姿からは想像しがたいが、感情を押し殺し、砂をかむような思いで毎日を送っていた時期があったという。だが、滝野さんが50歳のとき、父親が寝たきり生活を経て亡くなったことが転機となった。 「仕事を愛し、音楽や食べることを楽しんでいた父ですら、『自分の人生は無だった』と弱音を吐いて亡くなったことがショックで。ああ、私もこのまま決断しないでいたら、『なんのための人生だったの』と愚痴って死ぬことになる。そんなの絶対イヤ。最期は、『楽しい人生だったわ。ありがとう』って言いたいと思ったの」 子どもたちにも背中を押され、52歳でついに滝野さんは一人で家を出る。以降、別居生活に入った。父親の死をきっかけに「ジェロントロジー(老年学)」に興味を持ち、30年ぶりのアメリカ留学も決行する。 帰国してから5年後のあるとき、「アメリカの知り合いから送られてきた本に『平均年齢74歳のチアダンスチームがある』と書いてあったのを読んで、『何これすごい、やってみたい!』とひらめいちゃった」。 昔から、興味が湧いたら挑戦してみないと気が済まない。 「ハマるかハマらないかは、やってみなければわからないでしょう。やるからには一生懸命。それでダメなら引き下がる。とにかくまずは始めてみないと」
【関連記事】
- 101歳で週6日店に立つ天川さん「気づいたら60年。夫と二人三脚で始めた中華食堂《銀華亭》。今は子どもの助けを借りて」
- 81歳、現役心理カウンセラーの内田さん「NHKラジオ『子どもの心相談』を23年間。自宅で今も不登校の子どもたちとその家族のグループ相談会を開催」
- 72歳YouTuber・ロコリさん。年金+バイト代の月8万の暮らし「ユニクロ、GU、しまむら、メルカリ…宝探し感覚でおしゃれを楽しんで」
- 88歳ひとり暮らし「おばあちゃんねる」Youtuber お昼を考える時間が一番幸せ。食べることが生きる原動力だからこそ、好きなものを少量でも楽しむ
- 103歳の哲代おばあちゃん。夫を亡くして20年、朝晩仏壇でお経を上げる。畑仕事、デイサービス、仲よしクラブ。退屈している暇なんてない