【前編】磯村亮太×鹿山拓真~成長を実感できるセカンドキャリアの魅力。それはスポーツと同じ~
長崎でチームメートだった2人の現役時代。
――磯村さんは名古屋グランパス、アルビレックス新潟、V・ファーレン長崎、栃木SCと4つのクラブに在籍しました。10代の頃からU-18日本代表候補に選出されたり、試合出場はなかったものの2012年には日本代表に選出された経験もあります。 磯村 名古屋グランパスのアカデミーに在籍していた10代の頃は、それほど強い野心を持っているタイプではありませんでした。高校生になってからようやく「プロになれるかも」と思い始めた程度で、自分の中は「ついていくのに必死」という感覚だったんです。だから、肩書ほどの順調さは、実はそれほどなかったというか。 鹿山 いや、でも僕から見ればイソくんは“超エリート”ですよ(笑)。 磯村 いやいや、そんなことないから。 鹿山 僕なんて普通の小学校でサッカーを初めて、普通のレベルの中学で挫折して……。高校でもプロになれる可能性を感じたことなんてほとんどなかったので、大学に行って、普通の社会人になるんだろうなと思っていました。 ――そこからどうやってプロの道に? 鹿山 元プロ選手の方に出会う機会があって、その方があまりにもカッコよかったので「自分も目指したい」と思ったんです。それから真剣に練習に取り組んで、少しずつ力が評価されるようになって、少しずつプロへの道が開かれていったという流れでした。 ――で、その後、ふたりは2018年からV・ファーレン長崎でチームメイトになるわけですよね? 鹿山 イソくんのことで強烈に覚えているのは、2019年の天皇杯準決勝、鹿島アントラーズ戦です。自分もイソくんもスタメンで、僕はめちゃくちゃ緊張していたんです。J1リーグの強豪である鹿島アントラーズと対戦することもそうだし、「勝てば決勝」という緊張感もあって。でも、イソくんは経験があるから平然としているんですよね。で、みんなで円陣を組んでいる時に、こう言ったんです。「この試合を楽しめなかったらプロサッカー選手じゃねえよ」と。普段はそういうことを言うタイプじゃないのに、急に。かっこいい。 磯村 まったく覚えてない……。 鹿山 僕自身がその試合でそれほどいいプレーを見せられたわけじゃないけれど、あの言葉のおかげで僕自身が楽しむことはできたんです。そのシーンが自分のキャリアの中でもものすごく印象的で……だから、イソくんのファンみたいな感じでした(笑)。 磯村 僕は2018年の夏に長崎に移籍したんですけど、その最初のミーティングの時に、当時まだ大学生だった鹿山が特別指定選手としてチームに合流しますという挨拶をしていて、それを今でも覚えているんです。次の年から正式にチームに加入して、期待されていたけれど、プロの世界はそんなに簡単じゃない。あの天皇杯準決勝は、そういう状況の中で鹿山がスタメンを掴み取った試合だったので、「頑張れよ」という気持ちが強かったんだと思います。 ――なるほど。じゃあ、現役時代にかなり濃い時間をともにした先輩と後輩という間柄だったわけですね。 磯村 本当に。まさか同じ会社で働くことになるなんて、思ってもみなかったですよ。ほとんど同じタイミングで入社したこともあって、聞いた時はかなりびっくりしました。 【磯村亮太プロフィール】 株式会社マイナビ アスリートキャリア事業部 キャリアアドバイザー。名古屋グランパスU-15、U-18を経て、2009年に名古屋グランパスのトップチームへ昇格。名古屋グランパス在籍期間には、J1リーグ制覇や、日本代表への選出も経験するなどトップレベルで活躍。その後、アルビレックス新潟、V・ファーレン長崎、栃木SCへと移籍。2022年シーズンをもって現役を引退。Jリーグ通算189試合8得点と結果を残す。2023年、株式会社マイナビ アスリートキャリア事業部に入社。現在はキャリアアドバイザーとして、競技と仕事を両立させる「デュアルキャリア」の支援や、引退後の働き先となる「セカンドキャリア」の支援、体育会学生の就職支援などに従事。 【鹿山拓真プロフィール】 株式会社マイナビ アスリートキャリア事業部 キャリアアドバイザー。小榊サッカースポーツ少年団、長崎南山中学校、長崎南山高校を経て、東海学園大学へ進学。大学3年次の2018年3月7日に、V・ファーレン長崎へ加入することで仮契約。同年3月29日に特別指定選手に承認され、V・ファーレン長崎に選手登録された。同年4月4日のルヴァンカップ・グループステージ第3節サガン鳥栖戦で、公式戦初出場・初得点を記録した。2021年7月24日、カターレ富山へ期限付き移籍。シーズン終了後に完全移籍。2022年11月28日、現役引退を発表。2023年、株式会社マイナビ アスリートキャリア事業部に入社。同年、大阪体育大学大学院に入学。元・Jリーガーであり、現在は「マイナビアスリートキャリアのキャリアアドバイザー」、「大阪体育大学大学院の学生」、「実業団チームのサッカー選手」という3つの顔を持つ。
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