【前編】磯村亮太×鹿山拓真~成長を実感できるセカンドキャリアの魅力。それはスポーツと同じ~
元アスリートに聞くファーストキャリアとセカンドキャリアのこと。磯村亮太と鹿山拓真は現在ともにマイナビに勤務し、アスリートの就職・転職を支援する『マイナビアスリートキャリア』のキャリアアドバイザーとして現役アスリートと向き合う2人に、現役時代からのセカンドキャリアに対する考え方、引退から就職までの流れやキャリアにおける展望について話を聞いた。 取材=細江克弥 撮影=野口岳彦
現役引退の決断と、セカンドキャリアを見つけるまで。
――おふたりとも2022シーズン限りで現役を引退し、現在は『マイナビアスリートキャリア』を通してアスリートのキャリア支援を仕事としています。まずは、セカンドキャリアについて現役中に考えていたことを教えてください。 磯村 プロとしてのキャリアは“太く短く”が理想だと思っていました。でも自分の場合は“太く”はできなかったので、“細々と”という感じになってきた時に「次」を考え始めました。ひとつの基準として設定していたのは、J1リーグでプレーすること。そこを目指せないのであればサッカー選手としての道はあきらめなければいけないのかなと考えていたんです。それが、ちょうど30歳くらいのこと。ただ、その時点で“次にやりたいこと”が明確にあったわけではないので、自分自身の気持ちを確認しながら少し様子を見る時間がありました。 鹿山 僕の場合、学生時代から自分がプロになることをはっきりと想像できたわけではなかったので、正直に言えば、プロになれたことが“ゴール”のような感覚がありました。ケガや病気に悩まされる時間が長かったこともあって、引退を決断した際にも他クラブからオファーをいただいていたんですけれど、同じ挑戦を“繰り返す”ことより次に進むことを決めました。 ――プロスポーツの世界にしかない“勝負”の感覚を捨ててしまうことに対して、怖さを感じることはなかった? 鹿山 その感覚は、かなりありました。ただ、それって外の世界を“知らないからこその怖さ”でもあると思ったんです。だから自分の意志で飛び出すことが大事だと思っていたし、自分は大学時代から資格を取得したり、心の準備をしてきたつもりだったので、まだ冷静に向き合えたほうかなと。落ち着いて考えれば、それまでまったく知らなかった世界を知れることにワクワクしました。 磯村 そうやって心の準備を進めていたことがすごいし、うらやましい(笑)。自分なんて30歳を過ぎてからの決断だったので、心の中では「サッカーから離れたい」と思っていたけれど、「今さらサッカー以外の世界に行けるわけがない」という思いもかなり強くあって。指導者になることに対しての興味がなかったわけじゃないから、そっちの道も考えたんですよね。 ――その道を選ばなかった理由は? 磯村 自分が指導者になったとしても、プロにならせてあげられる選手は本当にわずかしかいない。だったら、プロになれない“大多数”の選手たちに対して、生きていく上で大事なことを教えられる人になりたいと考えたんです。だから、一度サッカーの外の世界に出て、いろいろなことを学んで、もしもまたサッカーの世界に戻りたいと思ったら考えればいい。いろいろな経験を積むために、今しかできない経験を優先しようと。 ――その時点で考え方が固まって、それからどのようにして『マイナビアスリートキャリア』にたどり着いた? 磯村 色々な方に相談する中で人づてにマイナビの社員を紹介してもらいました。「まずはその人に相談してみよう」と。それをきっかけに、マイナビのエージェントに力を借りながら一般的な就職活動をしました。全部で10社くらい受けたと思うんですけれど……正直なところ、自分がいったい何をやっているのか、当時はよくわかってなかった気がします(笑)。 ――なんとなく理解できます(笑)。鹿山さんも就職活動を? 鹿山 イソくん(磯村)と同じで、はじめは知人に紹介していただいた企業の面接を受けてみました。でも、どうしてもそこで働いている自分をイメージすることができなくて。時間をかけていろいろな道を探っている中で、マイナビを紹介してもらったんです。僕自身は地元の長崎に戻ること、それから大学院に通いながら働きたいという希望がはっきりとあったんですが、ちょうどタイミングよく、長崎でアスリートのキャリアをサポートする今の仕事をやらないかという話をもらいました。本当にタイミングがよかったんですよね。