元フジテレビ・笠井信輔「卒業アルバムに書いた夢が現実に」目指す道を語るのは恥ずかしいことじゃない
「夢は叶わない」そう考えている子どもが増えている、と元フジテレビの笠井信輔さん(60)はいいます。たしかに多くが叶わないかもしれない。それでも、たった1つ行動を変えるだけでチャンスが生まれる、と笠井さんはいいます。(全5回中の5回) 【画像】「夢がブレない!」小学生の修学旅行や高校の文化祭でも司会をし続けてきた、ノリノリの笠井さん 当時の貴重な写真を公開(全18枚)
■「大学に行くよりも、テレビに出る方法を考えろ」 ── 子どものころは、どんなお子さんでしたか? 笠井さん:人前で話をするのが大好きでした。授業中も率先して手を挙げて発表していたし、イベントがあれば司会を務めていました。小中学校では生徒会長を務め、小学校から放送委員会にずっと入っていました。
私が育ったのは、学校外のレクリエーション活動が盛んな地域。イベントも多く、何かあるたびに司会に立候補していました。 小学4年生のときに地元で開催された子ども祭りの司会をしたとき、すごくお客さんが盛り上がってくれたんです。「自分の話をこんなにたくさんの人が熱心に聞いて喜んでくれるんだ」と、本当に快感で嬉しかったです。 そのころから、「テレビ局に就職して、人前で話す仕事に就きたい」と思っていました。
── ずいぶん早い時期から具体的に将来の夢を持っていたんですね。 笠井さん:そうなんです。高校時代の文化祭でも、自分が司会をしたイベントが爆発的にウケて、教室に入りきらないくらいお客さんが来てくれました。 それで進路指導の際、担任の三澤先生に「テレビ局に入ってアナウンサーになりたい。だからマスコミに強い早稲田や東京六大学に行きたい」と伝えたところ、「笠井の成績ではムリだ。大学に行くよりも、テレビに出る方法を考えろ」と言われたんです。いま考えたらすごい指導ですよね(笑)。
三澤先生は日ごろから「夢を追いかけろ」と話す熱い先生でした。「私の話を真剣に聞いてくれて、アドバイスしてくれる大人がいるんだ」と嬉しかったです。現役のときは入試に落ちて1浪しましたが、猛勉強したおかげで早稲田大学に入学できました。
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