元フジテレビ・笠井信輔「卒業アルバムに書いた夢が現実に」目指す道を語るのは恥ずかしいことじゃない
■大学で浮かれた自分を戒めた恩師の言葉 ── 大学入学後は、すぐにアナウンサーになるための勉強に取り組んだのでしょうか? 笠井さん:それが志望校に入学したら気が抜けてしまったんです。当初の「テレビ局に就職する」目標を忘れ、好きなことをするぞ!と。スキークラブに入って、楽しいキャンパスライフを送るつもりでした。
大学に入学した年のゴールデンウィークに、小学校時代の担任の先生のところへ大学合格の報告をかねて遊びに行ったんです。 「大学に入学して、いまどうしているの?」と聞かれたから「スキークラブに入りました。筋トレも頑張っています」と報告したら、「何やってるの?テレビ局でアナウンサーになりたくて大学に進学したんじゃないの?」と、叱られてしまいました。 「早稲田にはアナウンサーをたくさん輩出している放送研究会があるから、すぐに入りなさい」と言われ、スキー部クラブと放送研究会をかけもちしました。アルバイトもあったので忙しかったですが、放送研究会に入ったおかげで、新卒でフジテレビのアナウンサーとして内定をもらえました。
── 高校のときの先生も小学校の先生も、笠井さんの周囲にはアドバイスをしてくれる大人がたくさんいたのですね。 笠井さん:本当にそう思います。本来の目標を忘れかけると、誰かが軌道修正してくれました。それは子どものころから、まわりに大きな声で自分の夢を語っていたのが大きいのかもしれません。「アナウンサーになりたい」と言い続けたからこそ、たくさんの人がアドバイスをしてくれたし、応援してくれたんだと思います。
■「夢を持ち続けること」は恥ずかしいことじゃない ── アナウンサーになるまでの過程のなかで、笠井さんが気づいたことはありますか? 笠井さん:「夢を持ち続け、周囲に話すこと」の大切さです。いま私は、小中学校でときどき「夢をあきらめない」という特別授業を行っています。そのときに気になるのが、子どもたちに将来の夢を聞いても、なかなか答えてくれないことです。 「どうして夢を教えてくれないの?」と聞くと、「叶わないと恥ずかしいから」という答えが。「夢を語って人から笑われたくない」と、幼いときから守りに入っている印象です。
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