なぜ広島次期監督は野村氏再登板や黒田氏抜擢説が消えて佐々岡投手コーチ昇格案が最有力となったのか?
佐々岡投手コーチに関しては、2007年の現役引退後、7年間、解説者としてネット裏から野球を勉強していたが2015年から2軍投手コーチとしてユニホーム復帰させ、今季から1軍投手コーチを経験させていた。ブレることなく、次期監督候補として準備させてきた佐々岡投手コーチの昇格案を貫いたわけである。 広島は選手育成だけでなく指導者の選定、育成に関しても球団として、しっかりとしたビジョンを持っている。 ただ、佐々岡投手コーチ自身に、Bクラス転落の責任は緒方監督だけでなく自分にもある、という戸惑いがあり、スンナリと決定に至らず、現在、有力後援者らに身の振り方を相談しているという。 佐々岡投手コーチはNTT中国から1989年のドラフト1位で入団。現役時代は、ルーキーイヤーから13勝17セーブと先発、抑えとしてフル回転した。新人王は、中日の与田監督に譲ったが、2年目に先発1本になると17勝9敗、防御率2.44で最多勝、最優秀防御率タイトルの“2冠”にMVP、沢村賞まで獲得しリーグ優勝に貢献した。 その後も、先発、中継ぎでフル回転してチームに貢献。1996年からはストッパーに本格転向、23セーブをマークした。2007年に引退したが、通算成績は138勝106セーブ。先発100勝と100セーブ達成は江夏豊氏以来、史上2人目の記録だった。 先発、中継ぎ、抑えと、すべてをこなしてきた経験を生かしし2軍投手コーチ時代は、1軍から落ちてきた不振投手の再調整や、九里、薮田ら若手を1軍へ送り込むなど3連覇を裏から支えた。明るい性格で選手を乗せて使うのがうまく、ベンチの雰囲気をポジティブに変える役割も果たしていた。 これまで広島で投手出身の監督は初代の石本秀一氏や、長谷川良平氏らがいたが、古葉竹識氏が指揮を執った1975年以降は、阿南準郎氏、山本氏、三村敏之氏、達川光男氏、マーティ・ブラウン氏、野村氏、緒方氏と、ずっと野手出身の監督が続いている。今季は、中崎、フランスアが安定せず、ブルペンのやりくりに苦労した。先発は、大瀬良、ジョンソンが2桁をマーク。九里も8勝8敗とローテーを守り、2年目の床田は7勝止まりで勝ちに恵まれなかったものの大健闘したが、1年を戦うためには5番目、6番目の先発の駒が足りなかった。 そして今オフに大きく戦力が変動しそうな野手の立て直しも大きな課題。そこは、コーチの1、2軍入れ替えなどで対処するのだろうが、1975年に代行監督を務めた野崎泰一氏以来、44年ぶりとなる投手出身の監督がどんな手腕を発揮するのかに注目が集まる。 9日までには新監督が正式決定、新監督は、さっそく秋季練習から指揮を執ることになる。