ウエイトトレーニングの起源とは~日本編~【筋肉博士・石井直方が解説】
運慶のモデルは力士だった?
前回はウエイトトレーニングの起源について書きました。有名なエピソードとして残されているものは、古代オリンピックの闘技者である「クロトナのミロ」が仔牛を担いで歩くトレーニングでした。 【動画】令和の怪物・相澤隼人の最強ボディがカッコよすぎる 今回は、ここ日本に視点を移してみましょう。日本には、いつ頃から筋肉やトレーニングに対する意識が根づいたのでしょうか。 2018年、朝日新聞社が開催した『運慶展』に付随してインターネット上に「運慶學園」というファンサイトが開校されましたが、私はそこで天燈鬼・龍燈鬼の筋肉について解説を行ないました。講義にあたり、まず像の筋肉の付き方を分析することからスタートしました。ご存知のように、天燈鬼や龍燈鬼の像は筋肉隆々ですが、知りたかったのはそれがリアルな筋肉の付き方なのかどうか。つまり、筋肉が発達したらそうなるだろうという想像で彫ったのか、それとも実在のモデルがいて、その体を参考にして彫ったのか、ということです。 彫刻を詳細に見てみると、腕には上腕二頭筋があり、上腕三頭筋があり、その上の肩の部分に正しく三角筋がついています。また、お尻を見ても大殿筋があり、その上に中殿筋があります。筋肉の形や付き方をしっかり知らなければ、ここまで正確な像は決して造れません。 ヨーロッパなどでは、彫刻は人体の構造を詳細に表現しなければいけないという考え方が伝統的にあったようで、芸術作品のための解剖図説なども古くから残されています。対して日本はそういう意識が薄かったようなので、なかには想像で造られた作品もあったかもしれませんが、少なくとも運慶の像は解剖学的にも正しい筋肉の付き方をしていることがわかりました。 ということは、やはり筋肉の形がはっきり浮き出ているモデルがいたと考えられます。その人物は、どういう鍛え方をしていたのでしょうか。 当時の状況をさまざまな専門家に確認しながら調べてみたところ、キーワードとして浮上してきたのが「相撲」でした。