ウエイトトレーニングの起源とは~日本編~【筋肉博士・石井直方が解説】
相撲は平安時代頃に大陸からやって来たと言われ、いわゆる神前――天皇の御前で儀式として行なわれていたという記録があります。運慶は鎌倉時代の芸術家なので、相撲が日本に定着してからそれなりに時間が経っており、力士のレベルや闘い方もかなり発展もしていたと思われます。 当時は、現在のような土俵がありませんでした。したがって押し出しという決まり手はなく、勝つためには相手を投げ飛ばすか、ねじ伏せるといった方法しかありませんでした。形態としてはモンゴル相撲に近かったのではないかと言われています。 投げたり、ねじ伏せたり、あるいは相手の体をつかみ、引きつけ、持ち上げたり……そうした闘いを考えると、今よりもはるかに「力」に対する依存が強かったのではないかと想像できます。 そんな時代の最も強い力士が、おそらく運慶の像のような姿だったのではないかと思います。つまり、当時の大横綱のような人がモデルになっていたのではないでしょうか。 像の体つきは、現代のようなトレーニングでつくられた筋肉とは少し違います。ベンチプレスのようなトレーニング器具がないので(さほど必要とされなかったのかもしれません)、大胸筋などはそれほど肥大していません。そのかわり、前腕や三角筋、広背筋などが際立って発達しています。つかんだり、引きつけたりすることによって鍛えられたのだとすれば、その体つきにも合点がいきます。 下半身も中殿筋の発達が目立ちますが、これは足を上げてバランスをとる能力に関連してくる筋肉です。また、姿勢の維持や、じりじりと前進するために使われるふくらはぎのヒラメ筋も発達しています。これらも相撲とつながります。 時代を考えると米俵を担ぐといったトレーニングは行なわれていた可能性がありますが、基本的には相撲を数多く取ることで獲得された筋肉なのではないかと推測されます。人を何度も投げたり持ち上げたりしていれば、それは立派なウエイトトレーニングになるでしょう。 前回のギリシア彫刻もそうでしたが、こうした肉体が芸術作品のテーマになっているということは、日本でも鎌倉時代には筋肉に対する憧れが根づき始めていた可能性が高いと考えられます。