本木雅弘 高みを目指す完璧主義 ふと出る隙で魅力倍増 12月に59歳もチャーミングな“モックン”
【俺の顔】端正な顔立ち、りんとしたたたずまい。俳優の本木雅弘(58)は、存在するだけで絵になる。常に高みを目指す姿勢を忘れないが、時折見せる隙がその魅力を倍増させている。(西村 綾乃) 背筋を伸ばし、前を見つめたキメ顔、色気が漂う横顔。ポージングを次々に変え、さまざまな表情を見せていく。「格好いいなぁ」。撮影をしていたカメラマンがファインダーをのぞきながら思わず漏らした。 初めて自分の顔について意識したのは幼稚園の時。「勇敢なおまわりさんになりたい」と思っていたが、先生に「雅弘ちゃんは、まつげが長くて女の子みたいね」と言われ、仰天。可愛さは無用と、母の裁ちばさみを持ち出し、まつげを切り落とした。小学生になると、西洋的な顔立ちに憧れ「とがれ!」と願いながら、鼻先をつまんで伸ばそうとしたことも。「触りすぎて、より丸まっちゃった」と指で鼻をなぞり、はにかんだ。 1981年にTBS「2年B組仙八先生」で俳優デビュー。翌82年、活動を開始したシブがき隊でトップアイドルへと飛躍した。 輝くスポットライトの中心にいたが「理想には程遠いと自分にダメ出しをする日々でした」。笑顔の下は自分への不満でいっぱい。「コンプレックスの塊だった」と苦悩を明かした。 グループが解散した88年に俳優に転身。29歳だった95年、女優の樹木希林さん(享年75)と、ミュージシャンの内田裕也さん(享年79)の娘でエッセイストの内田也哉子さん(48)と結婚した。 正解がない表現の世界。見えないゴールに向かってさまよう本木を見た義母の樹木さんは「あなた欲深ね」と一蹴した。貪欲さは原動力になるが、自分の首を絞めるのでは本末転倒だ。もがいた日々は「足るを知らなかった」と苦々しく振り返った。 死の尊厳を描いた「おくりびと」(2008年)は、その美しい所作も話題に。昭和天皇役を演じた「日本のいちばん長い日」(15年)では、戦争終結を伝える「玉音放送」を読み上げた。真摯(しんし)に言葉を伝える姿は、多くの人の心を震わせた。16年に主演した「永い言い訳」では、自分の弱さを自覚しているが、変われない男を熱演。51歳になった本木に樹木さんは「ようやく人としてのほころびを見せられるようになった」と目を細めたという。 12月には、59歳の誕生日を迎える。「自我と自意識を切り離すことはできない」と自意識過剰を自認している。しかし「自然」という言葉の中に「自」の文字があることに気づき「自然のままに生きていれば、目には見えない力が、おのずとしかるべき場所に運んでくれるだろうと思えるようになった」 取材の最後にお願いした「俺の顔」の題字執筆。「違う、違う」と書き直し「4度目の正直」でようやく書き上げた。書道七段の腕前。だが「俺」のはらいなどが交差した部分を指さすと「ここにバツ!がある」と満足はしてない様子。理想を求める厳しさを見せた。 サクサクと進んだ冒頭の撮影中。「あっ!」と声を上げると「のどあめをなめていたの忘れてた」と舌を出した。完璧を求めながらも、ふと見せる隙で周囲を笑いで包む。還暦を前にしても“モックン”と呼ばせてしまう、チャーミングさがそこにあふれていた。 ≪天才画家役で主演 岩手訪れ絵画修業 映画「海の沈黙」≫最新作「海の沈黙」(22日公開)では天才画家役で主演。美の価値が揺らいだ「永仁の壺(つぼ)事件」に着想を得た脚本家の倉本聰氏(89)が原作と脚本を担当。初の倉本作品だった本木は「覚悟を持って臨んだ。(倉本氏の)最後の作品と言われたので腹をくくるしかないという気持ち」と回想した。役作りでは「うその世界を生きているけれど、小さな真実を込めたい」と画家の生活を学ぶため、岩手・二戸に拠点を置く高田啓介氏を訪問。画材を前に「自分を解放して」とアドバイスされたが「体裁を気にして動けず、がっかりした」。それでも病に侵された画家が、足でへし折った流木の断面に絵の具を塗り、キャンバスに叩きつける壮絶な場面はアドリブ。魂を燃やし生きる男を見事に表現した。 ◇本木 雅弘(もとき・まさひろ)1965年(昭40)12月21日生まれ、埼玉県出身の58歳。81年にドラマ「2年B組仙八先生」で俳優デビュー。CM、ドラマ、映画など多方面で活躍。91年の「シコふんじゃった。」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。来年1月に出演映画「TOUCH/タッチ」の公開が控える。1メートル74。血液型A。