柳川藩士の日記に「ペリー来航で藩主が江戸湾警備なら自身も参陣したい」…黒船に動揺する藩内
福岡県柳川市の柳川古文書館は、同館が所蔵する柳川藩士の日記を読み解いて注釈を加え、「立花右馬助家日記」として出版した。幕末の黒船来航に動揺する藩内の状況や、武士としての心構え、日常の生活ぶりなどを知ることができる。(柿本高志) 【写真】初代藩主・立花宗茂の肖像画
立花右馬助家は、初代藩主・立花宗茂の義父にあたる戸次道雪の大叔父を祖とする家柄。
同館は市民らを対象に、2013年度から月1回のペースで、江戸時代に藩主らが残した日記を読む会を開催。今回は「立花右馬助家文書」の中から、17年度以降に読む会で取り上げた「天保十四年日記」と「嘉永元年日記」を一冊にまとめた。
原文と内容を理解しやすくするため、脚注に出来事や用語の解説を加えた。
天保十四年日記は、藩の中老職などを務めた立花鎮豪が、1843年(天保14年)~48年(弘化5年)に記した。自身の役職のことに加え、屋敷に植えたザボンなどのかんきつ類を毎年収穫していることや、藩士や僧侶と碁や将棋を楽しんだことなどが書かれている。
嘉永元年日記は、鎮豪の子で藩校・伝習館の学監を務めた鎮正が、1848年(嘉永元年)から約9年間にわたって書き残した。ペリーが浦賀に来航した嘉永6年6月の日記には、幕府から柳川藩に江戸湾警備が命じられ、藩士たちがこの話題で持ちきりになっていることや、藩主が江戸湾警備に出陣するのなら自身も参陣したいとの高ぶる気持ちがつづられている。
嘉永7年(安政元年)11月の日記には、紀伊水道から四国沖を震源とする「安政南海地震」が発生し、遠く離れた柳川にまで影響が及んでいた様子が書かれている。
また、2人の日記には、藩士と商人との関係、書籍や衣類、燃料などの購入、年末の支払いに困っていた家臣に金銭を貸して利子収入を得ていたことなども記され、藩士の日常を知ることができる。
編集した同館の白石直樹学芸員は「役職に関わることを記録した公的な日記は多いが、社会の出来事や家の経済事情、いろんな事柄に対する自分の気持ちを書き残した日記は非常に貴重といえる」と話している。
B5判228ページ。税込み1500円で販売している。問い合わせは柳川古文書館(0944・72・1275)へ。