ダイソー創業者は、なぜ新入社員に「人生は運だ」と言い続けたのか
■ 「人生は運だ」運をよくする秘訣 鈴木 だけど、売値が100円って決まっているにも拘(かかわ)らず、原価は上がっていく一方でしょう。その中でよくやってきたなぁと。 矢野 おっしゃる通り、原価はどんどん上がっていくんですよね。当時から、いずれ原価が100円を超えて潰れるという確信を持っていました。第二次石油ショックの時に原価が一気に上がって、同業の仲間は皆、辞めたんですよ。「ダイソーも近いうちに潰れるぞ」ってよく言われていました。 第二次石油ショック:1978年にOPEC(石油輸出国機構)が段階的な値上げを実施。これに翌年2月のイラン革命、9月に勃発したイラン・イラク戦争の影響が重なり、国際原油価格が3年間で2.7倍に上昇した。 で、とても100円じゃやっていけなくなって、ある日、120円均一に値上げしたことがあるんです。ところが、3つくらいしか売れなくて、もう昼から100円に戻しましたけどね(笑)。 鈴木 その状況をどう乗り切っていったの? 矢野 結局は、運です。中国というものすごく低コストの工場地帯ができましたから。しかも、早過ぎもせず遅過ぎもせず、ちょうどいい時機に。 鈴木 なるほど。いくら努力をしても、やっぱり何事も運が向かなかったらどうにもならないからね。 矢野 僕が毎年、新入社員に言うのは「人生は運だ」と。で、運というのは半分は持って生まれてくるけれども、あとの半分は自分でつくるものだと。だから、学校の勉強はいまからせんでもいいけど、人に好かれるにはどうしたらいいかとか、人を喜ばせるにはどうしたらいいか、そういう心の勉強はしないといけんよと言うんです。 鈴木 心に響く話です。 矢野 僕自身、20代の頃は運命の女神を憎み続けていましたが、ある結婚式に参列した時に、京都のお坊さんがこんな話をしていたんです。「仏縁(ぶつえん)に導かれたお2人だから、きっといい夫婦になられるでしょう。けれども、好むと好まざるとに拘らず、これからお2人には艱難辛苦(かんなんしんく)が押し寄せてきます。それを乗り越えたら、きっといい人生が送れるでしょう。人生にはいろんなことが起こりますけど、無駄は1つもありませんよ」と。 その言葉を聞いた時は、「何を言うんだ。俺の人生、無駄しかないじゃないか」と思って腹が立ったんですけど、ふと考えてみると、仏さんがこいつは見どころがあると思って、人の何倍も艱難辛苦を与えてくれたんじゃないか。運が悪いと思い続けてきたけど、もしかすると運がいいんじゃないか。そう思うようになってから、少しずつ心のモヤモヤが晴れて、いいことが起きるようになりました。 鈴木 意識が変わったことで現実も好転していったと。 矢野 ようやく食えるようになったなという気がしてきたところで、自宅兼倉庫が火事になってしまったんですが、そのおかげでいつ何が起きるか分からないんだから、100円でもコツコツ貯金しておこうと。だから、銀行の信頼もありましたし、お金を大切にするんで、お金の神様が可愛がってくれたんですよね。5000店舗もできたのは、いろんなアクシデントのおかげであり、「恵まれなかった幸せ」だなと感じます。 鈴木敏文(すずき・としふみ) 1932年長野県生まれ。1956年中央大学経済学部卒業後、東京出版販売(現・トーハン)に入社。1963年ヨーカ堂(現・イトーヨーカ堂)に転職。1973年セブンーイレブン・ジャパンを設立し、コンビニエンスストアを全国に広め、日本一の流通グループとして今日まで流通業界を牽引する。2003年イトーヨーカ堂及びセブンーイレブン・ジャパン会長兼CEO就任。同年、勲一等瑞宝章受章、中央大学名誉博士学位授与。2016年5月名誉顧問。 矢野博丈(やの・ひろたけ) 1943年天津生まれ。1966年中央大学理工学部卒業。学生結婚した妻の家業を継いだものの、3年足らずで倒産。その後、9回の転職を重ね、1972年雑貨の移動販売を行う矢野商店を夫婦で創業。1977年大創産業設立。1987年「100円SHOPダイソー」1号店が誕生する。1991年初の直営店を香川県高松市にオープン。1999年売上高1000億円を突破。2000年『企業家俱楽部』主催の『年間優秀企業家賞』を受賞。2018年売上高4548億円で業界シェア56%の業界トップ企業である。2018年3月同会長。2024年2月に死去。
藤尾 秀昭