「水害は水が引いた後が大変」復旧に向けた豪雨被災住民の苦労
関東・東北を襲った豪雨は、洪水被害としては近年になく広範囲に深刻な影響をもたらしています。床上・床下浸水は1万8,000棟以上、全半壊家屋は茨城県常総市などでまだ把握ができていない状況です(16日現在、内閣府)。復旧、復興に向けた動きも出てきていますが、過去の水害でも住民の生活再建には長く苦しい道のりがかかりました。その経験から、今回の被災地に生かせる教訓はあるでしょうか。
「捨てなくてもいいもの」をごみに
15年前の2000年9月に発生した東海豪雨。愛知県西部を流れる庄内川の支流、新川の堤防決壊などで10人が亡くなり、家屋6万棟以上が浸水しました。 清須市(当時は西枇杷島町)の障害者施設経営、戸水純江さんは決壊現場から1キロほど下流の自宅で被災。深夜に車いすの長女を連れてスーパーの屋上駐車場へ逃げ込んだ直後、周りはまるで海のようになっていました。そのまま飲まず食わず、トイレにもいけないまま半日がたってようやく自衛隊のボートで救出。しかし自宅にはすぐに戻れず、経営していた名古屋市の施設で寝泊まりを続けたそうです。 ようやく水が引いてから、少しずつ片付けを始めましたが、心に余裕はありません。水に浸かった家具や家電をどうすべきか、落ち着いて判断ができなかったと言います。 「今思うと水で洗えば使えるものまで捨てていました。大勢のボランティアさんに来てもらい感謝していましたが、これは使えないものですねとパッと判断されると、そうではないと思ってもなかなか言い出しにくい。生活のにおいのする道具がごみとなり、山と積まれている光景を見るのはつらかったです」と振り返り、「今回の被災地でも同じような被災者が多いでしょう。周囲はできるだけ余裕をもって、気遣ってあげてほしい」と話します。
「泥との闘い」は数か月以上にも及ぶ
ボランティアが少なくなってからも、「水害は泥の災害」だという戸水さんの闘いは続きました。 「家の障子の桟にびっしり泥がついていて、拭いても拭いても茶色い水が浮き出てきました。木の目の中まで泥水が染み込んでいるから、乾くとまた泥が噴いてきて、拭くとぞうきんが真っ茶色に。乾いたら乾いたで、今度はほこりと粉塵。風が吹くと砂ぼこりがブワーっと立って、マスクをしないとせき込んだり、気持ちが悪くなったりするほどでした」 こうした状態が2カ月ほど続き、家で生活ができるようになったのは11月過ぎだったそうです。 「今回の関東・東北の被害は規模がまったく違うほど大きいでしょう。ただ、水害は水が引いた後が大変だというのは変わらないはず」 こう自身の体験を重ねる戸水さんのような人は、日本中に大勢いることでしょう。内閣府は2006年度から、自然災害の被災者や災害対応の従事者に「もし被災の一日前に戻れたら……」という視点で教訓を語ってもらう「一日前プロジェクト」をスタート。集めた体験談を「エピソード集」として冊子にまとめたり、インターネットで公開したりしています。 風水害では戸水さんを含めた東海豪雨の被災者のほか、2004年に台風23号が襲った兵庫県豊岡市、2010年の梅雨前線による豪雨に見舞われた山口県山陽小野田市、12年の京都府宇治市などの被災者からヒアリングをしています。 10年前に列島を横断した台風14号で自宅が浸水した宮崎市の女性は、やはり3か月以上も片付けに追われ、戸水さんと似たような思いを抱いていました。 「ピアノはもちろん、タンスとかも、家にあるものほとんどすべてだめになりました。ただ、不思議と冷蔵庫とエアコンは生きていました。塩水でなければ、電気製品は自然に乾かせば使えるものもあるようですね。避難するときに電気のブレーカーを下ろしておけば、少しでも被害を軽くできるんじゃないかなと思います」