もし大地震が起こったら? 能登半島地震のリアルな被災体験を描いたマンガに災害時の心構えを学ぶ
もし大きな地震が起こったらどう行動するか、家族と話し合ったことはありますか? 令和6年能登半島地震の時、能登半島南部で震度6強の地震にあった漫画家・まえだ永吉さん(@eikiccy)。その実体験を描いたコミックエッセイ『令和6年能登半島地震体験記』では、地震直後の一家の行動が詳細に描かれています。大きな地震もさることながら、海の近くに住むまえださん一家は高齢の祖父母を連れて避難する必要がありました。一刻を争うその状況で、「阿吽の呼吸」で行動し、家族全員が高台に避難するその様子は、日ごろからの災害への心構えが大切であることを教えてくれます。 【マンガを読む】『令和6年能登半島地震体験記』を最初から読む X(Twitter)でも3.6万いいねを集めて話題となった『令和6年能登半島地震体験記』。この作品についてご紹介しましょう。 ■『令和6年能登半島地震体験記』あらすじ 数年前からやや大きめの地震が頻発していた能登地方。「緊急地震速報が鳴ったら外に出る」のルールを徹底していたまえださん一家は、本震直前の余震の時点で家から飛び出して様子を見ていました。 もう家に入っても大丈夫かなあ…と話していたところへやってきた巨大な本震は「明らかにいつもと違う揺れが来た」ということでした。「異様な音がそこら中に鳴り響く」「洗濯機の中にいるような回転が混じった激しい横揺れ」「車と川が左右に大きく揺さぶられていた」と、地震当時の様子を描写しています。 海が近く津波の恐れもあったまえださん一家は、高齢の祖父母を連れて高台に避難するため、すぐさま行動を起こしました。ほぼ阿吽の呼吸で「祖父母の安否確認」「防災グッズの持ち出し」「車の準備」をそれぞれ分担して避難先を目指しました。 高台で数時間を過ごし、津波の恐れがなくなった夜遅くに家に戻ると、家の倒壊こそ免れたものの、家全体にヒビが入っていたとのことです。 物は散乱、転倒防止策をとっていた本棚も倒れていました。また電気は付くものの水道は止まっています。たびたび余震も起こるため家の中も安全ではなく、寒い屋外で車中泊をすることに…。 ライフライン関係の仕事をしているまえださんの弟さんは、会社から呼び出されて1月3日の明け方から現場に向かい仕事をすることになりました。 車で市内を移動するものの、渋滞や通行止めが多くルート選びに苦労したり、がけ崩れで道路が無くなっている場所では命の危険を感じたり…。仕事で訪れた先でも様々な被害状況を目にすることになります。 その後も度重なる余震への不安、SNSのデマ情報や被災地を狙う犯罪集団、風呂のない生活や復旧作業がなかなか進まない様子など、当時の状況が克明に描かれています。そんな日々が続き、車中泊や余震によるストレスが積み重なったまえださんは、情緒不安定で号泣してしまったこともあるそうです。 過酷な日々の中でも、家族で支え合いながら被災生活を乗り越える様子も描かれています。 大変な経験をしながらも、当時の状況や思いを伝えるコミックエッセイを書き上げたまえだ永吉さんにお話を伺いました。 ■まえだ永吉さんインタビュー ──被災で大変な思いをされたことがひしひしと伝わってくる作品でした。本震の揺れがおさまった後、家族全員が即座に「阿吽の呼吸」で役割分担して、迅速に避難を開始したところに驚きました。なぜこのように瞬時に行動することができたのでしょうか? まえだ永吉さん:ね。なんででしょうね。本当に何も話し合っていません。 おそらくですが、母が防災リュックを持ってきたのは、母が主に用意していたので場所がわかるから。父が祖父母の安否確認に行ったのは、祖父母は父の両親だから。私と弟が車を出したのは、両親の車は車庫に入っているので出すのに時間がかかったから……という感じで、各々自分ができる一番の行動を即時にとったんだと思います。 ──ライフライン関係の仕事で能登のあちこちへ出向いた弟さん視点でのエピソードも描かれています。このエピソードを描こうと思った理由はありますか? まえだ永吉さん:弟は仕事で能登を飛び回っていたので、誰よりも被害状況を目の当たりにしているからです。「七尾もひどい、ひどいけど…奥能登は世界が違う」としんどそうに話していたのを今でも思い出します。この漫画を描くにあたり、弟からたくさん話を聞いて「こんな感じ?」と確認をとりながら描いたのですが「こんな感じ。なんも言うことないわ。俺のあの話からよくここまで描けたな」と言ってくれました。 ──弟さんのお話で特に印象的だったところはどこですか? まえだ永吉さん:病院で、とあるスタッフと連絡がつかないと言われているシーンでしょうか。 ──この場面は印象的でしたね。物が散乱してぐちゃぐちゃになった病院で、異様に張り詰めた雰囲気の中で担当者の方を探していたら、「まだ連絡とれてないんだよね…」と言われて…。被災地が極限状態であることがよくわかる場面でした。 まえだ永吉さん:働いている人達も被災者であり、また被害状況は深刻だということがこの一言でわかると思います。そんな中働いてくれた方々には感謝しかありません。 もちろん弟もその中の一人です。本当にありがとう…! ──マンガの後半では積み重なった被災のストレスでまえださん御本人が情緒不安定になり、1時間ほど号泣したという「メンタルブレイク」のエピソードもありましたが、精神面で特に大変だったことはなんでしたか? まえだ永吉さん:頻発する余震に対する恐怖心です。「地震後一週間は震度7程度に注意」とテレビのニュースで流れていましたが、「またあのレベルの地震が来るのか、次は家が倒壊する、自分が、家族の誰かがいなくなるかもしれない」など恐怖で押しつぶされそうでした。そのせいで夜も眠れない、一日中気が抜けないなど、精神面はもちろん身体的にも辛かったです。そのせいでネガティブ思考がどんどん大きくなりメンタルブレイクしました…。 ──大変な状況でしたね。そんな中でも、ご家族と仲良く助け合われていたのが印象的でした。ご家族とのエピソードの中で、特に印象に残っていることはありますか? まえだ永吉さん:断水中は紙コップを使用していて、節約のために何回か使用して捨てていたのですが誰が誰のだかわからなくなるので、紙コップにそれぞれの似顔絵を描きました。弟の似顔絵を誇張して描いたので家族皆が笑ってくれて。暗い状況の中少しほっとしたのが印象強いです。 * * * まえだ永吉さんの実体験からは、能登の被災地が大変な状況にあったことがひしひしと伝わってきます。そんな大変な状況の中でも、家族や親戚で支え合って役割分担しながら乗り越える様子からは、家族の大切さや、日々の心構えの重要性も伝わってきます。 改めて被災時に取るべき行動について考えてみませんか? 取材=レタスユウ/文=レタスユキ