「命だけは助かった」でも…残された荷物はどうなった? 羽田の航空機炎上事故、避難した乗客が語る「その後」
預けたトランクの中には、4日分の着替えや職場へのお土産、友人宅で遊ぶために持参したニンテンドースイッチが入っていた。 ▽タクシー代3万5千円、焼失した荷物の補償は… 避難した乗客は、全員の安否確認が終わってから約1時間後、バスに乗せられて空港内のホールに集められ、毛布やおにぎりなど簡単な食事が配られた。 「預けた荷物はどうなるのか」 JALの係員に尋ねる人もいたが、係員は「後日住所に送る」「詳しいことはお伝えできない」と答え、具体的な話はなかった。 ホールの出口は帰宅を急ぐ人で大混雑している。鈴木さんが交通費の精算用紙を受け取り、外に出た頃には午後10時半をまわっていた。 終電がなかった鈴木さんは、タクシーで埼玉の自宅に帰った。料金は3万5千円。既に日付は変わっていた。 「事故当時はそんなに恐怖心とかは感じなかったのですが、自宅に帰ると興奮していたのか、全然寝付けませんでした。友人からきていたLINEを返したり、事故のニュースを読みあさったりして、夜中の3時頃になってやっと寝ることができました」
翌朝午前10時、JALの専用ダイヤルから着信があった。 電話に出ると、オペレーターからは事故の謝罪と「荷物は探せない状況にある」との報告があった。お見舞金と荷物の焼失の補償分を合わせて計20万円が支給されるので、後日郵送する振込用紙と航空券を送るよう説明があった。 オペレーターからは「もし高価な品物があれば、分かる範囲で書面に記入して送ってほしい」とも言われたという。 「お気に入りの洋服とか、ゲームのセーブデータが無くなってしまったのは残念ですけど、買い直せば済むものですし、あきらめもつく。私にとっては十分足りる金額でした。でも、本当に高価なものや思い入れがあるものを預けていた方や、ペットを預けていた方の気持ちは、察するに余りありますが…」 ▽「飛行機にまた乗る?」記者の質問に… 鈴木さんは現在も「事故を起こした機体に乗っていた実感が湧かない」という。 事故後、上司や知人から安否を気遣う連絡が相次いだが、それらへの返答も落ち着き、元の日常に戻っている。それでも、ニュースサイトや動画サイトなどで炎上する機体の画像が目に入ると、少し胸が苦しくなる。