自民党と首相官邸を襲った「ローンオフェンダー」を軽視するな
<衆院選のさなかに自民党本部と首相官邸を標的にしたテロが起きた。2022年の安倍元首相暗殺、2023年の岸田前首相暗殺未遂に続いて3年連続で「権力の中枢」を狙うテロが起きたことは、何を意味するのか>
10月19日早朝、黄色の防護服にガスマスクを付けた男が自民党本部に向かって液体を噴射し火炎瓶を投擲した後、首相官邸の正面入口を車で強行突破しようとして逮捕された(逮捕容疑は公務執行妨害罪)。2022年7月の安倍晋三元首相暗殺事件、2023年4月の岸田文雄前首相襲撃(暗殺未遂)事件に続いて、またもや選挙の最中に「テロ」が発生したのは衝撃だ。【北島 純(社会構想⼤学院⼤学教授)】 【写真】容疑者のものとみられるXアカウント 政治的背景の詳細はまだ不明なところが多いが、反原発デモへの参加、選挙における供託金制度への怒り、自公政権への批判といった事情を、同居していた父親(歯科医師)がメディアに証言している。被疑者のものと見られているX(旧Twitter)のアカウント(@Ussubot)は、権力批判、警察憎悪、天皇制批判と並んで、 「制限選挙で社会がよくなるなら、こんな事態には陥っていない。」(2023年3月6日) 「この国が民主主義的な制度であると盲信し、投票行動や人民の意識にあると考える全ての人に言いたいのは、この国の選挙制度は民主主義とは程遠いものであるということ。」(2023年2月4日) 「この国が民主主義だなんて、冗談にもほどがある。」(2022年8月6日) といった書き込みを投稿している(ただし本人の書き込みである確証はない)。Facebookには、香港の民主化デモに参加したことも綴られていた。 自民党本部に対する攻撃と言えば、1984年9月の自民党本部火炎放射器事件が思い出されるが、これは左翼過激派による「組織的ゲリラ活動」だった。これに対して、今回の被疑者は、自民党本部を襲ったその足で首相官邸に突入する計画的連続性を見せる反面、軽自動車で首相官邸に突っ込むという無謀性を持っており、現時点では、「組織的背景のない単独犯」(ローンオフェンダー)だと見られている。 ■前代未聞の連続テロ ニュース番組が報じた動画等を見ると、男が乗っていた白い車は4ナンバーの小型貨物自動車で、一般的に「軽バン」と呼称されている軽自動車だ。屋根の上にはルーフラックが装着され、拡声器やLED投光器が装備されている。素人工作で軽バンを街宣車仕様に仕立て活動家を気取っていたのかも知れない。 車内からは、ガソリンを入れたポリタンクも大量に発見された(報道によると16個)。事件直後に官邸前道路から撮影されたというSNSへの投稿動画を見ると、車は激しい火花をあげて燃えている。何らかのバッテリー素材が燃えていた可能性があるが、もし大量のポリタンクに入ったガソリンに引火していれば惨事になっていただろう。 この白い軽バンは、火炎瓶投擲後に自民党本部前から首相官邸までの距離約500メートルを駆け抜けた。国会周辺は、「静穏保持法」が適用されるエリアであり、普段から政治団体の街宣車等に備えて移動式バリケード(蛇腹式車止めフェンス)が数箇所に設置され、機動隊が配備されているが、議員会館前の道路では車の暴走を食い止めることは出来なかった。 しかし、官邸正面入口前のバリケードがいわば「最後の砦」として車の行く手を阻むことに成功。官邸前交差点で右ハンドルを切って突入した車は、バリケードをなぎ倒すように官邸入り口に突入するも、入り口付近にある別のポール(支柱)に支えられたバリケードが最終的に車の暴走を止めたと思われる。常識で考えれば軽自動車程度の馬力でバリケードを突破するのは容易ではなく、ましてポールを乗り越えるのはSUVでも困難だ。はなから官邸入口で車を炎上・爆発させる意図だったのだろうか。 石破茂首相はこの時、近隣にある議員宿舎にいたとされる。官邸(あるいは同じ敷地内にある公邸)は主不在であり、首相個人に対する具体的危険は発生していない。しかし、自民党本部を襲撃した後に官邸に突入するという連続テロ行為は前代未聞だ。国家権力の中枢である官邸が脅威に晒された事例としては1936年の「2・26事件」が筆頭だが、近年では2015年4月の官邸ドローン事件(反原発を主張する元自衛官がドローンを使って微量の放射性物質を官邸に投下しようとしたが失敗、不時着したドローンが2週間後に官邸の屋根で発見された事案)も起きている。 ■「論理の飛躍」は深刻 岸田前首相襲撃事件は衆議院和歌山1区補欠選挙での遊説中に発生したものだったが、その被疑者は「選挙制度への強い不満」を抱え、公職選挙法の求める年齢要件(参議院で30歳以上)や供託金(選挙区立候補で300万円)は不当だとして国賠請求を提訴していた(1審、2審ともに棄却)。 今回の被疑者も、衆院選に出馬しようとしたが供託金を用意できず諦めたと報じられている。しかし、選挙制度への不満は、選挙を通じて選ばれた国会議員による法改正で対処するしかない。そうした手続き(政治的な回路)に対して、どうにも甘受できないような「目詰まり」を感じた者がテロに走ったのだとしたら、その論理の飛躍は深刻だ。これを軽視すると、民主政の土台を切り崩すような動きに日本社会が慣れていってしまう。 現在行われている総選挙への影響を最小化するためには冷静かつ謙抑的な受け止めが必要である。だが同時に、3年連続で選挙中のテロが発生してしまったことを考えると、「常軌を逸した個人の犯罪」に矮小化するのではなく、「令和のテロ連鎖」を断ち切るためにどのような政治回路の再構築が必要かを改めて正面から考えていく必要があるだろう。
北島 純(社会構想⼤学院⼤学教授)