異国で受けた衝撃「命の保証はないぞ」 銃撃の恐怖…トラウマになったベネズエラ生活
食事は「アメリカよりベネズエラの方がおいしかった」
肝心の野球は、チームのほとんどがシーズンを終えて参加するメジャーリーガー、もしくはメジャー経験者ばかりでレベルが高かった。「キャッチャーは3人ともメジャーリーガーだったので面白かったです。岩隈とかダルビッシュとバッテリーを組んでいた捕手もいた。彼らは日本人のことをよく知っていました」。 米国での野球も経験したが、ベネズエラの野球観は日本に近いものがあった。メジャーでも不文律を破るのは中南米の選手が多いと言われることがある。「(ベネズエラの選手は)『何がいけないんだ、勝つためだろう』、っていうのを平気で言える。アメリカの野球で育ってきている選手にとっては、(ベネズエラでのプレーは)それはそれでストレスだったみたいです。アメリカ人の選手が居心地悪そうにしている姿を、渡米以来初めて見て、今は彼らが外国人なんだと実感しました」。 環境面でも日本に近い部分を感じたそうだ。「湿度も高いし、米とか魚を食べるし。水は気をつけなきゃいけないですけど、食事も気候も、ベネズエラはどちらかと言えばアジア寄り。当時はベネズエラの選手が日本に来て活躍することも多かったけど、適応しやすいんだろうなって思いましたね。食事は断然、アメリカよりベネズエラの方がおいしかったです。お腹壊すことも多かったですけどね」。 NPBに区切りをつけ、飛び込んだ新たな世界は刺激ばかりだった。「あの時はとにかくメジャーに近いところがいいと思って、ベネズエラを選びました。プエルトリコの話もあったらしいんですけどね。でもベネズエラに行くって言ったら、みんながみんな、お前本当にいいのか、ベネズエラは危ないぞと。命の保証はないぞと言われて行った。正直、今となっては僕も人には勧められないですね」。冬の間だけの生活だったが、忘れることはない。
伊村弘真 / Hiromasa Imura