<高校野球>「柔軟力」で導く甲子園 明豊野球部・川崎監督が出版 指導のエピソード紹介
1999年の創部以来、春夏通じて9回の甲子園出場を誇る大分・明豊高校野球部。強さを支えるのは、歴代の選手が積み上げた“柔軟”な伝統だった――。同校の川崎絢平監督(38)が、明豊野球部の軌跡と指導者生活を振り返る「変化を続けて頂点を狙う 柔軟力」を出版した。著書では、青年監督が勝利を重ねた裏側に無数の敗戦、選手の成長と信頼関係があったことが明かされる。「柔軟力」をキーワードに「高校生の成長のスピードに驚かされる」と多様なエピソードが紹介されている。【河慧琳】 【写真特集】センバツ中止決定に涙を見せる球児たち 川崎監督は11年、28歳の時から明豊野球部の指導を始めた。高校時代に智弁和歌山高校(和歌山県)で1年から甲子園に出場し、全国優勝を果たした。その後、同校でコーチを務めており、明豊から声がかかった。 だが、当初は一筋縄ではいかなかった。授業中に部員同士で殴り合いのけんかを始めたり、夏の大会直前に退部を申し出たり、と著書では、粗削りな当時の野球部の様子が明かされる。 血気盛んな高校生を前に、最初に始めたのが、野球以前の取り組みだった。あいさつをする。時間を守る。人の嫌がることをしない。人間として当たり前の行動を説いていったという。 指導を重ねて、選手に成長させてもらえたとも感じているという。選手を育てるには、「褒めるというよりも認めることが大事」だと痛感した。現東京ヤクルトスワローズの濱田太貴選手は、入部当初「野球センスは備えているが、根が素直すぎて幼さが抜けきれない少年」だった。「お前が当たり前のことをするだけで、このチームは強くなる」「みんなお前のことを見ているぞ」。声をかけて責任感を育んだ。 自身は高校時代に常勝チームに所属していたが、明豊に来て「負け」の重要さも知った。15年夏の甲子園での初戦、仙台育英(宮城)では1―12で大敗した。「どんな投手でも、一球で仕留める体力と集中力」がいかに大切か身にしみた。 強豪校に敗れた経験から、選手に自主的に練習を考えさせ、固定観念にとらわれない新しい練習方法を模索した。縦横無尽の指導に、若く、素直な選手たちは柔軟に食らいついた。 春夏通じて計4回、明豊ナインを甲子園に導いた川崎監督。「人間的に未熟だが、指導者としての若さを生かし、一つのものに固執することのない『柔軟かつ流動的』な指導を心がけ、試行錯誤を続けている」と話す。 ◇センバツ中止「何が何でもこいつらを甲子園に」 今年つかんだ2年連続のセンバツ。4回目の春の甲子園は切符を手にしたのに出場の夢が絶たれた。中止を知らされた選手たちは悔しさを紛らわすために全員でバットを振り続けた。泣きながらバットを振る選手もいた。「何が何でもこいつらを甲子園に連れて行かんと。救ってやれん」。川崎監督は今、心を奮い立たせている。 著書は四六判272ページ。竹書房出版、1800円(税抜き)。