客席が見えないほどの涙に、有名な「ミソラ事件」も…『紅白』を花道に「引退・休業した歌手たち」とは
都はるみの引退紅白…鈴木健二アナウンサーの歴史に残る名発言の舞台ウラ
そしてもうひとり、デビュー20年目を迎えた昭和59(’84)年の『紅白』を花道に引退したのが都はるみである。 全国ラストコンサートを終えての最後の舞台。歌順も大トリ。司会の森光子が涙混じりに「20年間、ありがとう。都はるみさん」と紹介するとラストのシングル曲、大ヒット中だった『夫婦坂』のイントロが始まった。緊張した面持ちでゆっくりとセンターの大階段を下りながら、「この坂を越えたなら幸せが待っている」と、まるで自分に言い聞かせるかのようにはるみは歌詞の一言一句に思いを込めて歌った。 「これが最後」と訴える気迫があった。歌唱が終わり大きな拍手と声援がうごめいた。はるみは全身の力が抜け落ちたように、ぐったりしながら泣きじゃくる。 客席からアンコールの声。白組司会の鈴木健二アナウンサーのあの歴史に残る名発言が飛び出す。「はるみさんに頼んでみます。私に1分間時間をください」。でも生放送終了の時間が迫る。鈴木がはるみの肩に手をかけ、「歌えますか」と呼びかけたそのとき、アンコール曲『好きになった人』の前奏が始まってしまったのである。 鈴木は心で“しまった”と叫んだという。副調整室にいたチーフプロデューサーの勝田稔は、モニターテレビに映るふたりを見ながらも、冷静に伴奏開始のキューを出したのだった。 鈴木アナは年明けの新聞インタビューで「もしあのとき、伴奏が始まらなかったらもっと違ったドラマが生まれたはず。あと45秒あったら…」と語ったが、総責任者の勝田は「放送時間を延長することができたらもっと違った展開になっていたかもしれませんが」と言いつつも、「それは不可能なことでした」と語った。 はるみは、ほとんど『好きになった人』を歌えなかった。涙と興奮で声にならない。放心状態だったのである。それを助けるかのように出演メンバーたちが、そして客席の人たちが泣きながらもはるみを見つめながら一緒に歌った。総合司会の生方恵一アナウンサーの、あの「ミソラ事件」が起こるのはこのすぐ後のことである。 「異常な空気でした。みな泣いていました。この舞台で都はるみは美空ひばりを越えたなと思った瞬間、思わず“ミソ…”と言ってしまった。でも『紅白』終わったあとの正月休みが大変でしたね。ひげを剃ろうとしてカミソリ持ったら、家族から“お父さん、早まらないで”って言われたりしてねえ」 その後、はるみは昭和が終わり平成になった年の「第40回紅白」に、やはり「一日だけの復活」をしたが、その好評で翌平成2(’90)年には歌手復帰。「千年の古都」で大トリ歌手として紅組に戻ってきた。