えぇぇぇ!? [ダイハツ]って日本で一番古いメーカーだったの!?
車両の認証申請における不正が判明してからというもの、ちょっと元気がないダイハツ。実は日本最古の自動車メーカーとして、先進的で面白いクルマを生み出しているのだ。ダイハツにエールを送る意味も込め、ダイハツの歴史に登場した数々のクルマをご紹介する。 【画像ギャラリー】また元気なダイハツが見たい!!挑戦と個性で日本を楽しませてきたダイハツの歴史的ラインナップ(28枚) ※本稿は2024年9月のものです 文:片岡英明/写真:ダイハツ、ベストカー編集部 ほか 初出:『ベストカー』2024年10月26日号
■懐かしの車種で振り返るダイハツの歴史
ダイハツは、個性的な名車を数多く輩出してきた自動車メーカーだ。創業は1907年、元号では明治40年である。内燃機関の製作と販売を目的に「発動機製造」が誕生。昭和の時代になると三輪トラックを積極的に送り出している。 戦後も高い技術力を駆使して三輪トラックを開発し、市場を席巻した。社名をダイハツ工業と変えるのは1951年だ。この年、Beeと名付けたユニークな三輪乗用車を発売している。 ダイハツの名を一躍有名にしたのは1957年だ。機動性が高く、荷物も積める軽三輪貨物トラックを発売。これが自動車史に残るミゼットで、日本の風景を変えてしまうほどヒットする。 四輪市場に打って出るのは1963年だ。イタリアンデザインのコンパーノはライトバンが先行デビューし、セダンのコンパーノ・ベルリーナに発展する。これをベースにした粋な4人乗りオープンのコンパーノ・スパイダーも話題となった。
■SUVも早い時期から手がける
軽乗用車は、商用車のハイゼットで実績を積んだ後、1966年にフェローを投入する。これは2代目でフェローMAXを名乗り、クラス最強の高性能を誇った。 1967年、ダイハツはトヨタと業務提携を結んだ。パブリカとボディを共用するコンソルテやカローラのメカを用いたシャルマンなどを開発し、ライトエースの受託生産も開始している。 だが、ダイハツのスゴいところは、オリジナル色の強いクルマづくりとDNAにこだわりを見せたことだ。その筆頭が、1977年に発売したエコで機動性の高いコンパクトハッチのシャレードである。 2代目は世界最小の3気筒ディーゼルや高性能なターボを搭載した。オシャレなイタリアンルックをまとったデ・トマソも強烈な印象を残している。 シャレードは内外のラリーでも大暴れしたが、その後継はストーリアとブーンに設定したモータースポーツベース車のX4(クロスフォー)だ。 また、ダイハツは今につながるSUVも早い時期に送り出した。1974年にタフトを、1984年にはラガーを投入。ロッキーに続き、1997年にはクロスオーバーSUVの先駆けとなるテリオスなどを発売する。