【光る君へ】遠慮がちな「彰子」 “うつけ中宮”を国母にした紫式部の教えとは
息子、孫、曾孫の天皇を見守って
息子である後一条天皇が21年。同じく息子の後朱雀天皇が10年。その後は、後朱雀の息子、すなわち彰子の孫にあたる後冷泉天皇が24年、同じく後朱雀の息子の後三条天皇が5年。これらの治世のあいだ、父である道長の存命中は父を支え、その後は弟で摂政および関白になった頼通を支え、政治にも積極的に口を出した。そんな彰子を『大鏡』は「天下第一の母」と呼んでいる。 万寿3年(1026)には出家し、通常は天皇経験者しか得られない「院」の称号を授けられて、上東門院と呼ばれるようになった。そして、親や兄弟はもとより、息子や孫を見送りながら生き続け、87歳で逝ったのは、曾孫にあたる白河天皇の治世だった。 彰子が支えた摂関政治は、彼女の孫や曾孫によって終焉に向かい、院政期へと移っていった。しかし、入内に関しても、出産に関しても、その後も長く彰子の先例が手本とされ、見習われた。遠慮がちで自己主張できない中宮のまさかの大化け。それも長い生涯にわたって強い影響力をあたえ続けた。 その原点に、先述のように、紫式部が大きく関与していたのである。 香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。 デイリー新潮編集部
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