【国家VS非国家】世界を動かすのはどっちか?田中明彦氏の三つの「圏域」から考えるべきこと
2024年1月30日付の英フィナンシャル・タイムズ紙は、同紙コラムニストのジャナン・ガネシュによる「非国家主体の時代の到来:ポスト米国時代を支配するのは中国でもロシアでもない」と題する論説を掲載している。 イーロン・マスクは、数カ国を除いてどの国よりも大きな宇宙開発計画を持っており、スターリンクの衛星を通じてウクライナにおける戦争の帰趨に影響を与えてきた。 中東においては、ハマスもフーシ派も国家ではないが、地域の政治経済を大混乱させている。ヨルダンにおいて米兵を殺害したのも、国家ではない。イランが後押しをした可能性もあるが、そのイラン自身がパキスタンにおけるスンニ派の非正規勢力と銃火を交えている。 ポスト米国時代の勝者は、中国ではなく、非国家主体と言える。非国家主体は、国家の力が衰える中、力をつけている。 われわれは国家の復権の時代にいるはずであった。2010年代を賑わしたブレグジット、ドナルド・トランプ、習近平は、国家の主権的な力が強まることを示した。 かつては自由主義的な経済を目指していたところで、国家主導型の政策が新たにとられるに至った。ところが、国境の中で力を強めた国がある一方で、イエメンのようにそうでない国があり、どの地域であれ、国家が他の国を支えることはますます困難となっている。 同盟国がいるとしても、他の国を支えるような力を持つことは難しい。その結果として、統治が行き届かない空間が広がることとなる。
米国中心の秩序の終焉を喜んでいる者たちにとっても、ある種のグローバルな公共財をどうするのかの問題は残る。そうした国の中には、分権化された世界は、現実となるよりは理念のままであった方が良かったと思っているものがあるに違いない。 * * *
グローバリゼーションで国家の存在を意識
国際関係の主役は国家なのかという問いは古くて新しいものである。このガネシュの論考は、ハマス、フーシ派などの例を挙げて、非国家主体の時代が到来しつつあると主張している。短いコラムで論ずるには大きなテーマであり、消化不良の内容と感じられる。 この論考は国家と非国家主体を対比して、後者が前者に代わって国際関係の主役になりつつあると主張しているが、国家の役割は減退しているのだろうか。国際秩序は大国間競争の色彩を強め、欧州では、第二次世界大戦後、最大の規模で国家間での戦争が行われている。 中国の経済的威圧への対抗策として、経済安全保障、デリスキングの重要性が増している。リベラル路線を歩んできた欧州でも、米国においても、移民の増大をどう防ぐかが大きな課題となっている。 これらは、いずれも国境管理を含めて国家の役割を強める方向のトレンドである。グローバリゼーションが進展し、国境が意味を失い、国家の役割が低減すると考えられた時代から、国家の役割が再認識される時代に移っているのが現状である。 それでは、なぜハマス、フーシ派が世界を揺るがすのかと言えば、世界は一様ではなく、まだら模様となっているからである。ポスト冷戦の時代に入った1990年代に、国際政治学者の田中明彦氏が世界を三つに分ける見方を提示していたことがある。 田中氏の議論に即して言えば、民主制も市場経済も成熟・安定している第一圏域、どちらも成熟・安定しているとは言えない第二圏域、国家の制度が弱く混乱・無秩序が支配する第三圏域である。それから約30年が経過し、これら三つの圏域の内実も変化しているが、世界が異なる性格を持つ圏域で構成されている状況には変わりはない。 第三圏域では、引き続き混乱・無秩序に支配されている国や地域が少なくない。ガネシュの指摘する非国家主体の跋扈は、前記の田中氏の枠組みを用いるならば、そうした第三圏域の国・地域を培養土として生まれてきているものであり、それをもって、国家の役割が低減していると見るのは早計であろう。第一圏域にとって、第三圏域と付き合っていく上で、第三圏域の混乱・無秩序とともに、そこから生まれる非国家主体に対処していかなければならない。