「お前は一人じゃない」震災で母親を失った中国人少年を支えた東北の職人たち #知り続ける
肉親の葬式にも立ち会えず
郭や職場の上司たちは入国管理局の判断に納得がいかなかった。彼の母は日本人と結婚し、郭自身も合法的に来日している。滞在の形態が変わってしまったのは、大槌町で母が大震災に被災し、命を落としてしまったからである。その責任が彼にあるはずもない。 郭は今や足場職人として立派に沿岸地域の復興の役に立っている。その未来ある18歳の少年を、全世界から多大な支援を受けているこの国は中国へ送り返そうとするのか──。 彼の上司は知人の議員や行政書士などに相談し、なんとか彼を日本に留めておけないかと動き回った。 そんな不毛な闘いを続けていた2012年5月、新たな不幸が郭を襲う。中国で暮らしていた彼の実父と実兄が、高速バスでの移動中に事故死してしまったのだ。 天涯孤独になってしまった彼は、中国の親類から葬儀に出席するよう求められたが、一度日本を出国してしまうと、再入国できなくなる可能性があった。 「日本にいろ。これからは俺たちがお前の家族だ」 職場の上司にそう説得され、彼は日本で暮らす決意を固めた。 郭に滞在資格が認められたのはその年の11月。上司が弁護士を雇って交渉し、父兄の死によって中国に帰っても身寄りがいないことが確認された上での判断だった。
今も時折届く職人たちからのあたたかい連絡
慟哭の日々から12年。 郭は柔らかな夕日が差し込む集合団地のリビングの椅子に腰掛けていた。震災当時18歳だった少年は今や30歳になり、隣に座る優しい婚約者の通訳を通じて中国語で一節ずつ、私に近況を伝えてくれた。 大槌町を離れ/憧れの東京に出てきたのは4年前/今は内装職人として必死に首都圏を飛び回っている/日本に来てから14年/悲しいことも、うれしかったこともたくさんあった/でも、これだけは伝えたい/新聞記事に書いてほしい/今でも時々、大槌町の職場の上司や職人たちからスマートフォンに連絡が来る/「元気か?」「どうしている?」/そんなたわいのないやりとりに/時々涙がこぼれそうになる……/ 「どうして、涙がこぼれそうになるのですか?」 かみ締めるように話す郭に向かって、私はあえて愚問を挟んだ。 その質問に郭が涙ぐみながら答えると、隣で通訳していた若い婚約者がワッと細い指で顔を覆った。 「だって……」 婚約者は郭の台詞を必死に日本語に通訳した。 「あの日からずっと、彼らは僕に『お前は一人じゃないんだぞ』って伝え続けてくれているんですよ」 ※本記事は、三浦英之『涙にも国籍はあるのでしょうか 津波で亡くなった外国人をたどって』の一部を再編集して作成したものです。
デイリー新潮編集部
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