フロンターレで受けた“洗礼”。瀬古樹が苦悩の末に手にした「止める蹴る」と「先を読む力」<RS of the Year 2023>
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)、ラグビーワールドカップ、サッカー・FIFA女子ワールドカップ、世界陸上、バスケットボール・FIBAワールドカップ……数々の世界大会が開催され、多くのアスリートの活躍に心揺さぶられる1年となった2023年。一方で、小野伸二さん、石川佳純さん、岩渕真奈さんなど、長く第一線で競技を背負ってきたレジェンド選手たちが現役引退を決意したことも印象的な一年となった。そこで、結果や勝敗だけではないスポーツの本質的な価値や魅力を伝えてきた『REAL SPORTS』において、2023年特に反響の多かった記事を振り返っていきたい。今回は、J1屈指のプレーモデルを持つ川崎フロンターレで結果を出す難しさを赤裸々に吐露した瀬古樹選手のインタビュー記事だ。 (2023年9月29日公開) =================================
瀬古樹は明治大学を卒業後、横浜FCに加入。即戦力としてJ1の舞台で躍動し、2年目の夏からは主将としてもプレーしている。「自分が対戦相手に脅威を与える存在になれていた」と実感していた自信は、2022年の川崎フロンターレ移籍で打ち砕かれる。瀬古は昨季、13試合しかリーグ戦に出場することができなかった。「自分にとって一番高いはずの基礎技術が、フロンターレでは一番低いと思うくらい足りていなかった」という移籍当初の絶望感と苦悩、そして覚悟を決めて改善に取り組んだ軌跡を振り返る。 (インタビュー・構成=原田大輔、写真提供=©️川崎フロンターレ)
明治大学・瀬古樹と川崎フロンターレの“縁”
瀬古樹と川崎フロンターレの“接点”は、横浜FCから加入した2022年よりも、ずっと前にあった。プロになる決断や契機になったのも、川崎フロンターレだったと言えるくらいに――それを人は“縁”と呼ぶのかもしれない。 2019年7月3日、天皇杯2回戦。当時、明治大学に在籍していた瀬古は、等々力陸上競技場で川崎フロンターレと対戦した。 「いろいろな意味で手応え半分、悔しさ半分というか。ただ、天皇杯で川崎フロンターレと対戦したことが、自分のその先につながりました」 大学4年生になり、ボランチとして、ゲームキャプテンとして、関東大学1部リーグで活躍するようになった瀬古は、スカウトも注目する存在へと成長していた。 明治大学の栗田大輔監督とは「J2以下のカテゴリーからのオファーしかなければ、プロにはならずに就職します」と、約束を交わすほど、具体的な指標を定めていた。 「当時J2だった横浜FCのスカウト担当(当時)だった増田功作さんが、試合を見に来たときに声を掛けてくれて。その後、横浜FCと練習試合をしたあと、オファーをもらいました。増田さんは、僕に対して横浜FCを説明、要はプレゼンしてくれたのですが、その熱量がまたすごかったんです。横浜FCからオファーをいただいたこともあり、就職という選択肢を捨てて、サッカーに道を絞ったタイミングで、天皇杯が始まりました」 天皇杯1回戦では、当時J3だったブラウブリッツ秋田と対戦して、明治大学は3-0で勝利する。2回戦で川崎フロンターレと対戦することが決まったときには、栗田監督からアドバイスをもらっていた。 「フロンターレと試合をしたときに、いいプレーをすれば、J1のクラブからも声が掛かるかもしれないぞ。だから、その試合が終わってから、いろいろと考えを整理して、進路については決めればいいんじゃないか」 試合は0-1で敗れたが、今はチームメイトになったレアンドロ・ダミアンや車屋紳太郎、山村和也らと同じピッチに立った瀬古は、刺激を得ると同時に、強い悔しさを覚える。 「できた部分もありましたが、どちらかといえば、やっぱりできなかったこと、悔しかったことが多かった試合でした。大学サッカーとは違い、フロンターレは守備にしても整っていた。大学のリーグ戦では感じることができなかったスキのなさがありました」 肌で感じたJ1のレベルは、1日でも早くその世界に飛び込みたい、近づきたいという欲へと変わった。 「だから、フロンターレとの試合を終えてすぐ、栗田監督に『横浜FCに決めます』と返事をしました。決めたことで自分のなかでまた一つスイッチが入って。すぐに特別指定選手にしていただき、平日は横浜FCで練習し、週末は大学に戻ってリーグ戦を戦う生活を送りました」