フロンターレで受けた“洗礼”。瀬古樹が苦悩の末に手にした「止める蹴る」と「先を読む力」<RS of the Year 2023>
成長を遂げた横浜FCへの“感謝”。フロンターレで受けた“洗礼”
2019年、横浜FCがJ1昇格を勝ちとったこともあり、「J2の選手としてプロになると思っていた」瀬古は、J1でプロのキャリアをスタートさせた。大卒1年目から即戦力として活躍すると、横浜FCで過ごした2年間で、それぞれリーグ戦33試合に出場した。 「プロ2年目は、半年間だけですがキャプテンも務めさせてもらって、チームに対する思いも増し、クラブの関係者含め、ファン・サポーターから自分への期待も感じていました。チームをJ1に残留させることができなかった責任も含めて、本当に苦渋の決断でしたが、自分の年齢やサッカー選手としての目標を考えて、最終的には自分の人生を選ばせてもらいました」 2022年に川崎フロンターレへと移籍した経緯をそう明かす瀬古は、成長の足跡を刻んだ横浜FCへの感謝も忘れなかった。 「横浜FCのファン・サポーターからは批判されることも覚悟のうえの決断だったのですが、批判どころか、逆に上り詰めるところまで上り詰めてほしいといった背中を押してくれる声ばかりが届きました。だからこそ、自分のなかでは、恩を返しきれないというか。自分でも行けるところまで行ってみようと思う、後押しになりました」 それだけに川崎フロンターレに加入した昨季、リーグ戦13試合に“しか”出場できなかった結果と事実は、彼にとって悩ましくもあり、もどかしくもあっただろう。 「欲もありましたし、自信もありました。横浜FCであれだけ試合に出させてもらって、自分が対戦相手に脅威を与える存在になれていたかを考えたとき、決して戦えていなかったとは一度も思わなかった。その自信が上を目指したいと思わせてくれる原動力にもなっていたんです。もちろん、簡単に自分がフロンターレで試合に出られるとは思ってはいなかったですけど、ここまで試合に絡めないものかという思いはありました」 では、瀬古は昨季、なぜ試合に出場することができなかったのか。「考えたし、考えさせられる時間だった」と振り返る、彼に問いかけた。 「それは技術の部分です」 理路整然と話す瀬古が、珍しく語気を強め、荒々しい言葉で言った。 「本当に『足りねえ』って思いました。育成年代も含めて技術を武器にしてきた自分が、『こんなにも技術が足りない?』って思わされましたから」 さらに瀬古は語る。 「プロサッカー選手に必要な項目をパラメーターとして挙げたとき、自分にとって一番高いはずの基礎技術が、フロンターレでは一番低いと思うくらい足りていなかった。だから、プレーしていてアイデアは浮かぶのに、それを実行できなかったんです」 何とも的を射た表現だった。頭のなかでは、想像やイメージがいくつも膨らむが、技術が足りないがゆえに、スピードや判断が追いつかなかったのである。 「ヤスくん(脇坂泰斗)や(大島)僚太さんと比べると、自分はまったくボールが止まっていなかった。ボールが止まっていないから、例えばですけど、そこだとか、あそこだってわかっているところにパスが出せなかった」