小泉元首相がトモダチ基金創設で会見(全文2)原発は安全第一ではなかった
今、なぜ原発ゼロの運動してるのか
小泉:今日はせっかくの機会だから、私はなぜ原発ゼロの運動してるかっていうのも、時間がもうちょっとあるから話しますよ。 【中継録画】小泉純一郎元首相が会見 トモダチ基金を7月に創設 私に対する批判の一番大きな点は、なぜ総理のときは原発必要だって言っていながら、辞めたら原発必要ないと言い出したのかという、この批判です。それはね、専門家の意見を信じてたんですね。まず原発は安全。コストは他の電源に比べて一番安い。CO2を出さない永遠のクリーンエネルギー。この3つですよね、専門家の言うのは。確かに日本は資源をほとんど外国から輸入している。文明生活を送るためにはこれからも原発が必要だという意見を信じてたんです。 しかし5年前の3月11日のあの東北の大震災、地震、津波、そしてメルトダウン、福島原発の。これを見て、私は自分で勉強し直しましたよ。 これを調べていくうちに、この3つの推進論者、必要論者が言ったのは全部うそだと分かったんです。原発の導入の経緯、実情、歴史、それ調べてみてね、よくもこんなうそを信じていたと自分を恥じました。昔からこういう言い古されたことはありますよ。過ちを改むるにはばかることなかれ、過ちを改めざる、これを過ちという。過ちと分かったんだから改めなきゃいかんと思って、この原発ゼロ運動を始めたんですね。 まずね、原発導入されて50年、その間、大きな事故は3つありましたよ、世界で。まず最初、アメリカ、スリーマイル島。スリーマイル、1979年。スリーマイルね、これアメリカですよ、原発の本場。依然としてあの地域、人住めませんよね。あのスリーマイル島には人が住めませんよ、今でも。 1986年、チェルノブイリ、これもまた原発事故。今でもひどい状況ですよ。最近チェルノブイリ30年たったけども、25年目にあのチェルノブイリ事件において結構病人が出ている、後追いしていたお医者さんたちがいたわけですね。その資料もいろいろ見てみました。そのチェルノブイリの実情、健康被害を調べていって、25年だから子供も大人になってます。そういう状況を日本の北陸の医師会が日本語に訳してるのが私のところに送ってきましたよ。訳されてるのが、日本語に訳されてる。1986年ですからまだソ連崩壊の前です。隠されていたことも結構あったと。だからその当時の甲状腺がんとか白血病っていうのは大人に出てましたけど、その子供が今20代、30代になってます。その子供にも影響が出てるのは分かってきましたね。 スリーマイル、チェルノブイリ事故が起こったあとも日本の原発は違うんだ、日本のは絶対安全なんだと、多重防護されているんだと、これが専門家の意見でした。ところが5年前のあの福島のメルトダウン、これはもう最悪のチェルノブイリ級、それに勝るとも劣らないそういう被害でしょう。日本は大丈夫だと、そうじゃなかったんですよ。今、50年間でこれだけ大きな事故が起きてるんですけども、それ以外に、人為的なミス、機会の故障、これ数え上げればもう切りがない程、原発っていうのは事故なり故障なり、ミスを起こしてるんですよ。