「今夜が峠です…最初は涙が出たけど」小島可奈子 末期がんの母と心臓病の父、脳梗塞の叔父のトリプル介護を経験し
ただ、その後も風邪などをひくと心臓や肺に水が溜まり、救急車で運ばれることが何回も。そのたびに「今夜が峠です」と言われました。さすがに最初のうちは「今夜が峠です」と言われると泣いていたのですが、何回も峠を越えてきたので最近では慣れてしまいました(笑)。
■「人に頼れるところは頼る」のも大切 ── お父さんの状態はいかがですか? 小島さん:自宅から近い実家でひとり暮らしをしています。本当は施設に入ってもらったほうが安心なのですが、本人が嫌がるので無理強いはできないですよね。ただ、父は長い間、父の弟である叔父と一緒に暮らしていたのですが、彼のめんどうまでは見きれないということになり、現在、施設に入ってもらっています。
叔父はちょっと変わった人で、以前は東京で働いていたのですが、60歳のときに職場でショックなことがあったようで、そのままヒッチハイクをして実家のある福岡まで戻ってきたんです。それで母が生きていたころは父と母と叔父の3人で暮らしていたのですが、母が亡くなってすぐに、叔父が脳梗塞で倒れてしまいました。叔父は看てくれる家族がいないのですが、やはり最初は施設に入ることを嫌がりましたね。 ── でも、説得された?
小島さん:父に叔父の介護をしながらいっしょに暮らす自信がないと言われました。結局、近隣の施設で今は暮らしているのですが、たまに電話したり会いに行って食事に連れ出したりしています。週3回ほどヘルパーさんが来てくれるのですが、叔父にとってそれが人とのいいふれ合いになっているようです。 父のこともたまに外に連れ出したりしているのですが、実家にも週に3回ほどヘルパーさんが来てくれているので、本当にありがたく思っています。ただ、これまでも何回か倒れているので、ある程度の覚悟はできています。
── ご両親や叔父さんを介護するなかで大変だったことはありましたか? 小島さん:親の介護について考えたときに、いちばん大切なのは親との関係性だと感じました。父のことは心配ですが、父は昔から母に甘えてワガママで、私にとって目の上のたんこぶ的な存在でもあったんです。年金を賭け事に使ってしまうようなダメな部分もあり、父の嫌な部分と向き合うのが大変でした。困った人だと思いつつも、やっぱり嫌いにはなれない。父につい怒ってしまうこともありましたが、むげにもできないという感情でした。最近は父が昔より弱ってきたのもあり、うまくやれていると思います。