「東大生だからといっていい気になるな」 東大総長たちが若者に送った強いメッセージ
「頑張っても報われない人たち」を助けられる人に
最後に、上野千鶴子名誉教授が述べた2019年(平成31年)4月12日の入学式祝辞を見てみましょう。 この祝辞はマスコミでもずいぶん話題になり、ネットでも賛否両論が飛び交いましたので、だいたいのことはご存じの方も少なくないと思いますが、その取り上げられ方には良くも悪くもある種のバイアスがかかっていたのではないかというのが、私の印象です。つまり語り手が著名な(括弧つきの)「フェミニスト」であるという先入観から、この祝辞を「長いあいだ女は差別されてきた、そうした土壌を作ってきたのは男の責任である」という、単純なフェミニズムの言説に回収してしまう論調が目立ったような気がするのです。 しかし全文を冷静に読んでみれば、これが男性社会を一方的に糾弾することを目的としたスピーチとはまったく異質なものであることがよくわかります。その趣旨は、しばしば引用される次の一節に集約されています。 〈あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと(ママ)忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと……たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。 あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。〉 自分が恵まれた環境にあったからこそ今日の自分がある。しかし世の中には環境に恵まれなかったために、がんばることすらできなかった人たち、がんばろうという気持ちさえ抱けなかった人たちがいる、あなた方はせっかく環境と能力に恵まれたのだから、そうした人たちのことを常に念頭に置いて、自分の力をそうした人たちのために使ってほしい――。 これはまさに、矢内原忠雄総長が半世紀以上も前の入学式で語った「諸君の学ぶところを、諸君自身の利益のために用ひず、世のため、人のため、殊に弱者のために用ひよ。虐げる者となることなく、虐げられた者を救ふ人となれよ」という言葉と響き合うものであり、林健太郎総長が式辞で紹介した「ノブレス・オブリージュ」の考え方そのものです。 受験競争を勝ち抜いて東京大学に合格したこと自体が「ノブレス」の証(あかし)でもなんでもないことは、言うまでもありません。新入生たちがまずなすべきことは、これからの時間を使って、「オブリージュ」(義務を負わせる)という動詞にふさわしい本物のノブレスになるべく努力することであり、彼らはその出発点に立ったにすぎないのです。 上野千鶴子は祝辞の最後で、「大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだ」と語っています。「知を生み出すための知」=メタ知識を獲得すること、それこそがノブレスとなるための第一条件であるという彼女のメッセージは、幸運にもその機会に恵まれた新入生たちに向けて投げかけられた厳しくも熱いエールであると、私は思います。
石井洋二郎(いしいようじろう)1951(昭和26)年東京都生まれ。専門はフランス文学・思想。東京大学教養学部長、副学長などを務める。東京大学名誉教授。『ロートレアモン 越境と創造』など著書多数。2015年に教養学部の学位記伝達式で読んだ式辞が大きな話題になった。 デイリー新潮編集部
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