五輪では圧巻も…。A代表で影が薄かった日本人(6)意外にも7試合だけ…。本田、香川らを束ねたオシムチルドレン
世代別のサッカー日本代表で活躍したのち、A代表でも中心選手に成長する選手は多くいる。一方で、世代別代表で存在感を放ちながらも、A代表にうまく定着できなかった選手も枚挙に暇がない。今回は、五輪代表として期待を集めながらも、その後苦しんだ選手をピックアップして紹介する。(データは『transfermarkt』を参照)
DF:水本裕貴(みずもと・ひろき) 生年月日:1985年9月12日 五輪での成績:3試合0得点0アシスト(北京五輪) A代表通算成績:7試合0得点0アシスト 水本裕貴は、高校卒業後の2004年にジェフユナイテッド市原(現在のジェフユナイテッド市原・千葉)に加入してプロキャリアを始めた。U-18から世代別日本代表を経験してきた有望株は、イビチャ・オシム監督の指導を受けて成長を続け、得意の対人守備を武器に次第に千葉で不可欠な選手となった。 2006年にはA代表の指揮官に就任したオシム監督から声が掛かり、21歳でA代表デビュー。北京五輪(北京オリンピック)に臨むU-23日本代表に選ばれるのは自然な成り行きだった。 水本は、本田圭佑、香川真司、長友佑都、内田篤人といったのちのA代表主力が多くいた北京五輪のU-23日本代表で主将を務めていた。実力も経験も十分で、さらにリーダーシップも持ちあわせていたDFだ。 しかし、その後はA代表に定着することはできなかった。中澤佑二や田中マルクス闘莉王といった先輩たちがいたことに加えて、下の世代からは北京五輪でチームメートだった吉田麻也の台頭もあり、Jリーグ屈指のセンターバックとして評価されながらもA代表での出場はわずか7試合にとどまった。
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