被団協のノーベル平和賞受賞決定1か月、長崎で被爆2世が関連組織に加入「私にもできることがあるのかも」
今年のノーベル平和賞で、被爆者団体の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」の受賞が決まり、11日で1か月を迎える。被爆地・長崎では関連組織に被爆2世が新加入し、ボランティアの応募も相次ぐ。活動が注目される中、被爆者らは「より多くの人を巻き込んで取り組みを強化したい」としている。(勢島康士朗、美根京子) 【写真】原爆がさく裂した午前11時2分に「長崎の鐘」を鳴らす被爆者と観光客ら
被爆2世「両親の原爆への思いを伝えたい」
被団協の構成団体の一つ、長崎原爆被災者協議会(被災協)の被爆2世らで作る会には10月11日の受賞決定後、3人が入会。その一人で被爆2世の佐藤喜美代さん(75)(長崎県諫早市)は「両親の原爆への思いを伝えたい」と意欲を示す。
母・アサキさん(2006年に95歳で死去)は諫早市の国民学校で長崎から列車で来た被爆者の体からウジ虫をつまんで取るなど救護にあたって被爆した。「本当にひどくてかわいそうだった」と話していたという。
被爆者をリヤカーで運んだ父・政雄さんは被爆者健康手帳を取らないまま、1960年に59歳で亡くなった。母も被爆者に当たると知らずに過ごし、80歳頃に手帳を取得。佐藤さんは「被爆2世」となったが、その意識はほとんどなく、核兵器廃絶を訴える被爆者らの運動は縁遠かった。
受賞決定をニュースで聞き、「被爆者の思いがつながり、世界に認められたんだ」と胸が熱くなった。被爆2世らが母と同じ救護被爆者の紙芝居を制作していることも知り、「私にも何かできることがあるのかも」と入会を決めた。
佐藤さんは「母と父の記憶から救護被爆を伝え、平和を訴えられるのは私しかいない。まずは少しずつでもできる活動に携わっていきたい」と語る。
被災協は被爆者80人の証言動画制作に取り組んでおり、10月17日から編集や英訳を担うボランティアを改めて募った。8人が手を挙げ、受賞決定前の6人から14人に増えた。新たに応じた英語塾経営の草場和子さん(64)(福岡県那珂川市)は「私にできることで被爆者を支えたい」と意気込む。