【書評】『きょうだいの日本史』“宇多天皇の兄弟姉妹”から始まり会津藩家老の山川家や旧幕臣の幸田きょうだいなど…男女主人公のバランスがよくとれた24編の物語
【書評】『きょうだいの日本史』/『日本歴史』編集委員会・編/吉川弘文館/2200円 【評者】山内昌之(富士通フューチャースタディーズ・センター特別顧問)
兄弟でなく「きょうだい」と題したところがいかにも現代史学らしい。実際に、古代史に限らず、日本の歴史では、女性の果たした役割が大きいからだ。 「宇多天皇の兄弟姉妹」から始まり、会津藩家老の山川家や旧幕臣の幸田きょうだいなどに終わる24編の物語は、男女主人公のバランスがよくとれた構成である。北条義時と政子はともかく、最上義光と義姫などはなかなか思いつかない論ではないか。幸田露伴や幸田成友(歴史家)を生み出した旧幕茶坊主の家柄の明治新時代への適応と成功は、延と幸という二人の西洋音楽家の成長なくしては考えられなかった。 仲のよかったこの4人が死ぬと、第二世代では遺産相続をめぐる深刻な争いが生じたのは、いかにも婉曲や遠慮といった“美徳”の失われたポスト明治の新時代らしい絵模様なのだろう(千葉功氏)。 幕末といえば「高須四兄弟」をすぐに連想する。尾張徳川家の分家・高須松平家は、幕末に二人の尾張藩主を出した。そのうち、慶勝は将軍慶喜を権力の座から追い払うのを黙認したのに、弟の容保は京都守護職を務めた。兄は将軍慶喜の没落を結果として促した反面、弟は最後まで幕府に忠実だっただけでなく、その重荷を背負って会津盆地で“官軍”と戦い抜いた。 二人の母は違っていたが、慶勝は容保を実母に引き合わせようとし、兄として思いやりの深いところを見せる。明治になってから4兄弟を写した有名な写真が残っている。維新の激動を潜り抜けてきた痕跡がしっかりと顔に刻印されているという評価は正しいだろう(藤田英昭氏)。 昭和天皇と3人の弟宮との関係も興味深い。戦前戦後を通して、万一の時の皇位継承者になる自覚をしきりに求める天皇の生真面目さと、責任と職責がまったく違う弟宮たちの奔放さが浮かび上がる。その一方、自分の直系だけを大事にしがちな天皇の人間臭さにも思わず微笑を誘われる(舟橋正真氏)。中大兄皇子・徳川家光に限らず、きょうだいは自分と直系子孫の侮りがたい脅威だったのだ。 ※週刊ポスト2024年12月20日号