「自由なシリアを見てほしかった」 アサド政権の残虐行為訴えたシリア人活動家の葬儀
ヨギタ・リマエ南アジア特派員 注意:この記事には拷問の生々しい描写が含まれます 「私たちは血と魂を革命に捧げた」 シリアの首都ダマスカスの通りで、マゼン・アル・ハマダさんの棺を運ぶ人たちは、こう連呼した。棺は、緑と白と黒の縞(しま)に三つの赤い星の旗に覆われていた。2011年の民主化デモに参加した人たちが使ったこの旗は、バッシャール・アル・アサド前大統領が失脚した今、この街のどこでも見られるものになった(アサド政権下のシリア国旗は、赤白黒の横縞と緑の星だった)。 葬列が進むにつれて、次々と人が加わった。「マゼンは殉教者だ」と大勢が叫び、中には涙を流す人もいた。 アサド政権が自国民に何をしたのか、その残虐行為について政権崩壊に先駆けて世界が知ることになったのは、ハマダさんのおかげだ。ハマダさんは政権を声高に批判する活動家だった。 ハマダさんの遺体は8日、「人間虐殺の場」として悪名高かった、ダマスカスのサイドナヤ刑務所で発見された。遺体には恐ろしい拷問の形跡があった。 検視を行った医師はBBCに対し、遺体には全身に骨折や火傷、打撲傷の跡があったと語った。ハマダさんの家族も、同様に話した。 女きょうだいのラミアアさんは「マゼンの体には、数えられないほどの傷跡があった。顔は粉砕され、鼻は折られていた」と語った。 ハマダさんは2011年の民主化要求デモに参加した際に逮捕され、拷問を受けた。2013年に解放された後にオランダに亡命。そこで、刑務所で受けた扱いについて公の場で話し始めた。 アフシャル・フィルムズが制作した2017年のドキュメンタリー映画「Syria's Disappeared: The Case Against Assad(シリアの失踪者、アサドを告発)」でハマダさんは、自分がレイプされ、性器をつぶされ、刑務官が繰り返し胸の上でジャンプしたことであばら骨を折られたと、その様子を話している。 おいのジャド・アル・ハマダさんによると、ハマダさんは亡命中に重いうつ病などメンタルヘルス(こころの健康)の問題に悩まされていた。この期間、ハマダさんはシリアの少数民族クルド人の組織に脅されていると主張し、クルド人を攻撃するよう呼びかけていた。家族は、この時期のハマダさんは良い精神状態ではなかったと話した。 2020年、ハマダさんはシリアに帰ることを決めた。 ラミアアさんは、「政府からマゼンのところに、取引が成立したので安全を保証すると連絡があった。また、自分がシリアに戻らなければ、家族が逮捕されて殺されるとも言われていた」と話した。 ハマダさんは帰国直後に逮捕された。家族はハマダさんについて、今月初めに反アサド政権勢力が中部の主要都市ハマを掌握した後、アサド政権の崩壊直前に殺されたとみている。 「私たちが自由になったことはうれしいが、マゼンがそれを見届けることができたらよかったのに。マゼンは私たちの自由のために犠牲になった」と、ラミアアさんは話した。 ハマダさんが経験したことは、アサド政権による残虐行為のほんの一部に過ぎない。アサド前大統領の支配下では10万人以上が行方不明になり、その大半が死亡しているとみられている。そして今、失踪者の家族たちはその遺体を探している。 ダマスカスの病院では、サイドナヤ刑務所から収容された遺体が死体安置所に並べられている。安置するスペースがなくなると、最も腐敗の進んだ遺体は外にある小屋のような建物に保管された。その悪臭は耐え難いものだった。 頭のない遺体があった。ひどい拷問の跡が残る遺体も複数あった。 建物の一角には、頭蓋骨や人骨の入ったポリ袋が置かれていた。病院を訪れた人たちは、袋の中を探していた。行方不明の家族を特定できないかと。 19歳のアフマド・スルタン・エイドさんの変わり果てた遺体が、母親と兄弟によって本人だと特定された。母親は遺体を見た直後に気を失いそうになり、看護師によって救急治療室へ運ばれていった。 「私の息子、私の赤ちゃん、たったの19歳だったのに」、「私たちにはもう何も残っていない」と、母親は泣き叫んだ。エイドさんの兄弟も、壁に額をつけて泣いていた。 取材する私たちの周りでは、誰もが探している家族の写真を掲げていた。 年老いたムスタファ・ハイル・ウル・イナムさんは、2011年に失踪した息子のオマルさんとモハメドさんを探している。「何も見つからない。並んだ骸骨の間を探したところで、何を見つけられるというんだ」。 アフマド・マスリさんは、兄弟のハリルさんを探しにやって来た。 「これまでは、大事な家族がどこにいるのかを尋ねることさえ許されなかった。そんなことを言えば、逮捕されてしまう状況だった。どういう気持ちか、想像できますか? 誰も何もしていないのに、あっという間に消えてしまった。もしかしたら、どこかの集団埋葬地にいるのかもしれない。シリアで暮らすよりも、ジャングルで暮らす方がましだった」。マスリさんはこう話した。 わずか1週間前まで、表立ってあらわにすることができなかった感情、悲しみと怒りがあふれ出していた。 「息子を探しているすべての母親に、アサドに復讐する機会を与えるべきだ。プーチンはアサドをかくまうべきではない。アサドを送還するべきだ。あの男を私たちが公の広場で処刑できるようにすべきだ」と、一人の女性が大声で叫んだ。 私はハマダさんの女きょうだいのラミアアさんに、どういう正義を望んでいるのかと尋ねた。 「犯罪の加害者たちは全員、逃げてしまった。でも、彼らを連れ戻してもらいたい。法廷で正義を実現できるように」。ラミアアさんはこう答えた。 (追加取材:アアミル・ペールザダア、サンジェイ・ガングリー、リーン・アル・サアディ) (英語記事 'I wish he'd lived to see new Syria' - Crowds bury anti-Assad activist)
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