小松原庸子、92歳。28歳で観たフラメンコに魅せられスペインへ。両膝人工関節の手術後も、踊り続けて
東京は柳橋の常磐津の師匠の家に生まれた少女が、28歳で観た舞踊に魅せられスペインへ。以来六十余年、日・西で学んださまざまな芸を創造の源に、挑戦を続ける(構成=篠藤ゆり 撮影=木村直軌) 【写真】92歳とは思えない、美しい立ち姿の小松原さん * * * * * * * ◆全身全霊をかけて修業するしかない 28歳のとき、来日したスペインのピラール・ロペス舞踊団の公演を観て、魂を射抜かれました。偶然にも、当時留学先から帰国したばかりの夫に、本当に踊りたかったら本場に行かなければ駄目と勧められて、夫を置いてスペインへ。言葉もわからず稽古に励み、スペイン語を習いつつ、フラメンコ修業三昧の日々。 1年後、帰国してリサイタルを開きましたが、自分としてはとても満足できるようなものではありませんでした。芸を極める厳しさは子どもの頃から熟知していましたが、本気でフラメンコを身につけたいなら本場で、その世界で全身全霊をかけて修業するしかない。夫も顧みず、再びスペインに戻りました。 彼自身も芸術家なので私の想いをわかってくれ、結婚生活よりフラメンコを選ぶことができました。ちなみに彼はその後、素敵な女性と再婚。私が帰国した後は家族ぐるみで親しくおつきあいし、彼らの息子は私のことを「庸子おばちゃん」と呼んでなついてくれた。 離婚してからのほうが人間対人間として、またアーティスト同士として、いい関係を築けたと思います。
それにしても、なぜフラメンコにそこまで心惹かれたのか。理由のひとつは日本の芸能との共通点です。バレエは空に向かって高く跳び、音もなく地に着く。フラメンコは大地を踏みしめ、「私はここにいる」と自らの存在に胸を張ります。 日本の踊りもまた、腰を落とし、大地に近いところで踊ります。歌と弦楽器と踊りの三位一体で演じられ、演劇的要素が必要だという点も共通しています。 また、芸者さんたちは家族を助けるために芸を磨く人も多かった。華やかに見える世界ですが、苦労した人も多いのです。 フラメンコでも、歌って踊って弾いて家族を助ける人たちが多かった。私が初めてスペインに行ったときはそんな感じでした。苦しい境遇のなか、悲しい思いやつらい体験がすごい芸を創っていったのです。 フラメンコは、スペイン各地に伝わってきた民族舞踊とヒターノ(ロマ)の芸能が融合したものです。現在ではヒターノもパジョ(ロマ以外の人)も偏見はなく、お互いに切磋琢磨しながらフラメンコの向上に尽くしています。
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