人生を決めた映画『サタデー・ナイト・フィーバー』 ラッキィ池田
黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「黒木瞳のあさナビ」(11月15日放送)に振り付け師・タレントのラッキィ池田と振り付け師の彩木エリが出演。振り付けについて語った。
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「黒木瞳のあさナビ」。11月13日(月)~11月17日(金)のゲストは振り付け師・タレントのラッキィ池田と振り付け師の彩木エリ。3日目は、ダンスを始めたきっかけについて― 黒木)ラッキィさんは振り付けの前にダンスをされていたのですよね。 池田)そうですね。 黒木)ダンスは映画『サタデー・ナイト・フィーバー』で目覚めたということですが。 池田)大学に入って、体育会系のバレー部に入部したのですよ。応援団に高橋さんという江戸川高校の先輩がいたのです。それで入校式に高橋さんが応援団の格好で、「おう池田、獨協大学へ来たか。待ってたぞ」と。「池田、応援団に入るだろう?」と言うのですよ。「いやいや僕ちょっと応援団は……」と思ったのですが、(中学・高校時代にバレー部だったので)「バレーボールを続けようと思っているのですよ」と言ってしまったのですね。 黒木)そんなつもりはないのに。 池田)大学に入ったらサーフィンやテニスをやって、ちょっと遊ぼうと思っていたのですが、そう言ってしまったら、「あ、そう。よかった。バレー部を紹介するから」と言われて、そのまま部室に連れていかれました。「浅野、こいつ俺の後輩だから、可愛がってあげて」と。もう、すべての夢が崩れ去って、それでバレー部に入りました。 黒木)入ってしまったのですね。 池田)バレー部に入ったのですが、ある日、中学の同級生が「池田、ディスコって知ってる?」と言うのですよ。そんな社交場があることはまったく知らなかったので、連れていってもらいました。初めてそういう社交場に行って……。 黒木)みんなが踊っていた? 池田)踊りがわからないので屈伸運動しかできませんでした。「こういう世界があるのだな」とカルチャーショックを受けて、その日から毎日、1人でディスコに通って朝までステップを習っていました。踊りがうまい人の足元だけ見て、「気持ち悪い奴だ」と思われましたね。 黒木)それがダンスの始まりですか? 池田)踊りに魅了されて、「これこそが新しい青春文化ではないか」と思いました。当時は体育会系だったので、文化系的なものはあまり好きではなかったのですが、一気に目覚めました。